【想いかさねて】

　プロの声優となって５年。５年です。よくぞ食らいつき、積み重ねてきたものだと落合 まゆらは心の中で自画自賛。
　いいえ実際、それに足る活躍をしてきたはずです。大長編トラえもんのゲスト声優として参加しましたし、アニメ版ねこっこ☆モンスターの準主役級ヒロインも演じました。ニャンピースにだって出たし、二年前の秋アニメ『乙女ゲーの悪役令嬢に転生した私は断罪エンド回避のためにモブ令嬢劣化を目指してるのになぜか攻略対象たちに溺愛されてます』のヒロイン、フェリシテはスマッシュヒットの当たり役となりました。最近はニャン・ハサウェイやパル・パドットの吹き替え声優としてもすっかり定着してきたし、先ごろ俳優活動に復帰したアメロン・ギアスの声だって当てることになっています。
　順風満帆？　それはそう。けれどまゆらがそんな確固たる地位を築くにいたるまでには、つらい一年も経験しました。仕事があるだけマシと言われながら、ひたすらにモブキャラを演じ続ける日々。それはそれで重要な仕事、たしかにそう、けれど誰の記憶にも残らないような……専門学校生がデビューへの足がかりとして回されるような小さく印象の浅い端役ばかりでは、どれだけ魂を込めた演技を披露しようと志しても感情を乗せるのは難しく、空転する日々が続きました。先輩声優には「どんな仕事でもこなせるのがプロなんだよ」とも言われますし、自分の未熟さゆえにだとまゆらにも分かりながら、それでも最初の一年間は端的に言って、心が折れそうでした。下積みの時期というのはどんな職にあっても苦労するものです。
　けれど今となってはそれも、積み重ねた経験のひとつだと言えましょう。そうと思えるようになったのはひとえに、まゆらの成長のたまもの。それがプロ。インタビュアーに面白おかしく語って聞かせる過去のエピソードとしても上々です。おかげで磨き上げられ、プロとして駆け上がることができたのだと、そう胸を張って言えるようになったのです。
　その積み重ねが、この幸運を……いいえもちろん、まゆら自身の実力で引き寄せたものでしょう。
「……マジで？」
「マジ。大マジ。そりゃあたしも、夢みたいって思うけどさ」
　恋人、アヤトの呆けた顔に、まゆらは思わず吹き出しました。青天の霹靂、気持ちは分かります。まゆら自身だっていまだに信じられないくらいですから。
「マジで、ファイニャンに？　あのファイナルニャンタシーの１６に……いや待てよ、もしかしてファイニャルソードのほうじゃないよね？」
「パチモノとかじゃないから。本物、本物」
「……おめでとう！」
　国民的大作ゲーム、その最新作にてまゆらが射止めた役は、強権を振るう帝国皇帝の懐刀、辣腕の女将軍にして主人公の元カノ。複雑な経緯や過去と渦巻く感情を能面のような無表情へ覆い隠す、美女シェラルゼ……物語の鍵を担う、これが実に難しい、そしてやりがいある大役でした。
　なにしろあの、ファイニャンです！　もういっぽうの巨大タイトル、国産ＲＰＧの始祖ことトラニャンクエストと並んで日本を代表する大作ゲームの準ヒロインに、見事抜擢されたのです。まゆらにとっても、所属する事務所や同僚たちにとっても、これは快挙と言えました。
「やったな……！　マジでおめでとう。本当に……！」
「あ、うん。ありがと、アヤト。なんかそこまで喜んでもらえると、ちょっとむず痒いっていうか」
「だって、オレまで嬉しくなっちゃうよ。これって大出世だろ！？　まゆらのこと、ずっと見てきたからさ。ずっと苦労してたの、オレ見てたからさあ……」
　京極 綾人。共通の趣味であるゲームを通じて出会った、まゆらの恋人。同棲を始めたのは去年のことです。ミュージシャンである彼が属するロックバンド『Edwoods』も長いこと芽が出ず、苦労を重ねた末に昨年の新曲でブレイクし、現在スターダム街道を爆走中。そんな経緯もあり、またアヤトが大のゲーム好きを公言してやまない生粋のゲーマーであることもあって、まゆらとはおたがいにシンパシーを感じ、励まし合って歩んできた仲です。だからまゆらの成功は彼にとって、恋人となった今はなおのこと、心から喜ばしいことなのでしょう。
　希望と未来に満ちた道の広がりを感じ、ふたりは高まるままに抱き合い、唇を合わせながらベッドへともつれ込みました。



　その夜はまゆらのほうから、いつもより激しく衝動的に彼を求めました。彼の優しさの反動か、大役へ挑む不安やプレッシャーがひときわの巨大な存在感をともなって、まゆらを苛みました。
「怖いの……」
「うん」
　優しく髪をなぞる手のひらに身をまかせて、まゆらは吐露します。
「失敗しちゃったら？　みんなに受け入れられなかったら？　あれは配役ミスだったね、ひどかったよねってあのゲームの話をどこかの誰かがするたびに言われて、ずっとずっと語り継がれて……」
「分かるよ。その不安」
「本当に……？　だってあたし、本当に、この仕事に賭けてるの。それが、ダメになっちゃったら？　ミスったら？　そう思ったらあたしもう、いてもたってもいられない。身体がふるえて、喉がかわいて、あたし、もう……」
「分かるよ。オレもそうだった」
　そっと抱きしめた彼の素肌のあたたかさが、いくらかまゆらの震えをおさえてくれました。
　大役に挑む栄光と同時に、引き受けねばならない責任があります。そんな押しつぶされそうな重圧に耐える強さを持つのもまたプロ、それは分かっているけれど。けれど。
「うっ、ううう。ううううう」
「大丈夫。不安なんて今だけさ。いざ本番になったら、まゆらは楽しんじゃうんだよ。その時になったら、オレの言ったことが分かるはずさ。だから大丈夫。大丈夫」
　ひと晩じゅう泣き続けたまゆらを朝まで優しく撫で、はげまし、キスの雨を降らせてくれた彼の背を無心になぞるうち、まゆらの不安も抑えきれない愛おしさによって流れ消えていきました。



　翌日は手をつないでいっしょに部屋を出て、それぞれの仕事場へ。
「アヤト。いつもありがと。がんばって」
「うん、そっちも。愛してるよ」
「あはは、照れるなあ」
　まゆらは新作の声のお仕事。アヤトは新曲のレコーディング。分野は違えど、きっとどこかでつながっている。そう信じながら、離しがたく結ばれた手のひらを引き離して、代わりにキスをひとつ。
「……いってきます！」
　いざ、戦場へ！



　その後の作品の評価は？　まゆらの演技の評判はいかに……！？

「う～ん、われながらパーフェクツ！」
　ま、もちろん、言わずもがなってやつですよね！