もうひとつの卒業、桜色のにゃあ｜リアクション

もうひとつの卒業、桜色のにゃあ

　三度目の鐘をあなたと・２

　翌日は快晴で、三月にしては気温も上がって汗ばむほどの陽気となった。
　待ち合わせは学校の授業が終わったあと着替えをしてから。場所はエノコロ岬の駐車場だ。
「ワットは……まだみたい。それにしても今日はずいぶんあったかいなあ」
　先に来ていた柚春は、ポカポカ陽気に羽織ってきたスプリングコートを脱ぐ。
　燦々と降り注ぐ春の日差し。
　ここにウォルターと来るのは三度目だ。
　一度目は昨年の夏。ウォルターへの恋心を自覚したあとだった。あのころウォルターは、柚春に『先生』と呼ぶよう何度も指導していた。だから『彼を愛称で呼びたい』――そんな風に願ったものだ。
　二度目は昨年の秋。ウォルターに自分を女の子としてみてほしいとお願いしたあとだったと思う。あのとき、柚春はこっそり二人分のイニシャルを書いた南京錠を柵にかけ、『どうか猫神様と天女の二人のように想いが繋がりますように』と祈ったのを覚えている。
　一度目の願いは、かなり叶ったと思う。
　学校ではもちろん愛称で呼んだりはできないけれど、二人きりの時は『ワット』と呼ぶことが多くなった。
　二度目の願いも、あのときより彼との距離は近づいて、想いが繋がりつつあると感じる。
　だからこそ、今、また猫恋の鐘をいっしょに鳴らしたかったのだ。
（いままでは恋人じゃなかった。二度あることは三度ある？　それとも三度目の正直で……）
　恋人として鐘を鳴らしたい。
　それが今の柚春の願いだ。
（でも今の僕らはまだ恋人未満……だよね）
　はぁ、と漏れるため息は熱っぽくもあり、湿っぽくもあり。
（でもでも！　もしかしたら……新しい気持ちで鳴らせるかも）
　不安と期待を胸に待っていると、柚春の心の曇りを切り裂くように、ロイヤルブルーのスポーツカーが颯爽と走り込んできた。ウォルターであった。
「ごめんねぇ、待たせて」
「ううん。忙しいのに時間作ってくれてありがと」
　柚春は、直前までの憂心を隠して、ウォルターに微笑みを向ける。
　ウォルターもにこりと青い瞳を緩ませてくれる。
「じゃあさっそくだけど、行こうか」
　猫恋の鐘は、恋人たちの丘と称された高台にあり、待ち合わせしていた駐車場からはすこし歩く。
「何回来ても、この丘、すこし登るのがきついよねぇ」
「そう？　僕はぜんぜん平気」
「柚春は若いなぁ」
　再三ねだった甲斐あって、ふたりきりの時に限って、ウォルターは彼女を『柚春』と呼ぶ機会が増えていた。
　柚春は戯れにウォルターの腰を押してやる。
「お年寄りみたいなこと言わないで。ワットだってまだ若いでしょ」
「君の倍以上生きちゃってるけどねぇ」
「そんなのは今だけ。差はそのうち縮まるもの」
「そうかもしれないねぇ。女の子なんてとくに、すぐ大人になっちゃうしねぇ。僕が教師になりたてのころ受け持った学生から結婚しましたとか子どもが生まれましたなんて葉書貰ったりすると、ほーんと、ビックリしちゃうよぉ」
（結婚……子ども……）
　そんな単語がズキュン、ズキュン、といちいち柚春の心を撃ち抜く。
　――ワットは、結婚とか、子どもとか、意識してたりする？
　そう聞きたい気持ちをぐっと抑える。
（僕は……）
　意識していないと言ったら嘘になる。すごく……すごく……意識している。
（でもまだ恋人ですらないから……）
　はぁ。なんて悩ましい。
「柚春？」
　盛大にため息をついた柚春の顔を、ウォルターが覗き込んでいた。
「どうしたの？　やっぱり坂、つらかった？」
「違うよ」
　ため息の原因はワットだよ。
　そう言いかけたけれど、やめた。
　べつにウォルターがなにか悪事を働いたわけでもないのだから。
　ただただ、叶っても叶ってももっともっとと求めてしまう恋心が、ため息になって零れてしまっただけだ。
　――カラン、コロンと誰かが鳴らした鐘の音が響いてくる。
　今日のところ、目指す場所はあそこだ。
　ウォルターは自分とは違う理由で、ふーっと息を吐いているようだから、叱咤激励してあげる。
「あともうちょっと。頑張って、ワット」