●お先にお風呂いただいてます

　男湯の内湯を抜けると、こじんまりとした露天風呂がある。
「おおー。誰もいない。風呂を先にしてよかったな、深雪」
　霧生 渚砂はほくほく顔だった。
　温泉宿というものに、一度行ってみたいと思っていた。だからとても楽しみにしていたし、その上、年下の保護者、霧生 深雪と一緒なのだから、頬も緩むというものだ。
「初めての温泉……あったかいなぁ。すごいなぁ。な、深雪」
「あんまこっち見んなよ」
　深雪はぶっきらぼうに吐き捨てる。
　一緒に住んでいるというのにいまさらだ。でも、そんなところも深雪らしいと渚砂は思う。
「なあ、深雪。温泉といえば背中の流しっこだろ。お兄さんの背中流して、背中」
「……まあ……背中くらい流したっていいけどさ……」
　ためらいつつも渚砂の背中にひとかけ、ふたかけして……手を止める。
「どしたの深雪？」
「……渚砂の背中大きいな」
「そう？」
「それに比べて俺は……」自分の背中なんかあまり見たことはないけれど。「……貧相とかいうなよ！」
「いわないよ。深雪は深雪だろ」
　渚砂は臆面もなくそう返して笑うのだった。



●浦島太郎は何を手にする？


【廊下】

　さて、それからちょっと経った頃。
　廊下に貼られたサンマさんポスターの前で、ううむーと唸っているのは初島 優だ。ＧＷ用にと貰ったけれど結局使わなかった臨時の仕送りが今宵の宿代。面白そうだと到着早々、謎解きにチャレンジしている。
　ポスターの中のサンマさんはえらく陽気だった。いや、サンマさんはいつだって陽気だけれども。
『オレのボディはピッカピカ』
　わざとらしいそんな落書きが優の目を引く。
「むむ……このポスターは使えそうだねー」
　と、そのとき、湯上りの深雪と渚砂が「浴衣が似合う」だとか「綺麗だよ」だとかいいながらやってきた。
　一瞬警戒したが、ふたりは周りのことなんか目に入っていないようだ。優は、ほっと息を吐いた。
「……なんだー。あの人たちは謎解きしてるんじゃないのか。よし、じゃあ今だー！」
　優は意を決して、そのサンマさんポスターを壁からはがした。


【夏の庭】

「まあ、斑鳩様、見てください。蛙さんです」
　天満 七星が嬉しそうな声を上げる。浴衣に着替えた斑鳩 遙は、ずっと年下の和装のよく似合う少女のあとをのんびり歩きながら、夏の庭を眺めていた。七星が足を止めたのは池のほとりだ。水面には蓮の葉が涼しげに浮いている。蛙は驚いて、いましも水に飛び込むところだ。
「それにしてもいい庭だ。風情があって心が落ち着く」
　遙は最近残業続きで疲れていた。今日は有給休暇の消化も兼ねて、リフレッシュのつもりだ。
　七星とはたまたまここで出会ったのだが、袖振り合うも多生の縁。
「私、一番あやしいのは冬の間の箪笥だと思いましたの。引き出しに文字が書いてありましたでしょう？　ですから、【タ】【カ】【ラ】と開けてみたんです。でも残念。玉手箱はありませんでしたわ」
「宝なし、ってわけか」
　そうなんです、と七星は肩を落とす。
「そうしょげるな。きっと、一手では解けないようになってるんだ。そうじゃなかったら面白くないものな」
「そうですわね」という七星の言葉に、「白衣くさい……」という声が被った。
　見ると、引きずるような白衣を身に纏い、ちょこんと鼻眼鏡を乗せた小柄な少女が、くんくんと遙の匂いを嗅いでいるではないか。伊賀 解理だ。
「白衣仲間の匂いがする。もしや、普段白衣を着てはいないかね？」
「着てるよ」
　遙は寝子島水処理センターの研究員で、普段は白衣なのだ。
「素晴らしい。よし。握手しよう」
　よくわからないまま、遙は解理と握手をする。解理のうしろには、同じく白衣姿の坂内 梨香が苦笑いを浮かべていた。どうやら梨香も、解理に同じように白衣仲間認定されて一緒に行動することになったらしい。
「失礼。実は私たちも話に混ぜてもらえないかしらと思って。ほら、向こうの浦島太郎の像――」と梨香は春の庭の方を指差す。そこには、空の両手を前に差し出した浦島太郎の像があった。「――私たち、あれを調べてきたのだけれど、どうにも行き詰ってしまって」
　安直かもしれないが、ヒントの「亀の視線の先へ」の視線上に像があるし、なにより玉手箱といえば浦島太郎だ。そこでふたりはまず、浦島太郎の像を調べてみたのだ。空の両手が怪しいと思った解理は、そこになにか載せるのではないかと思いついた。そこで春の庭の橋を渡ったところにあった、バラの花束を載せてみたのだという。
「それでどうなりましたの？」と七星が訊ねる。
「何も起こらなかったのだよ」解理は答えた。
「つまりバラの花束はブラフだったわけだな」と遙は顎に手を当てる。
「かもしれない。ともかく、他に何かあの手に載せるべきものはないかと、こちらを調べに来てみたわけだ」
「何か載せるもの、ですか……」
　七星はきょろきょろと辺りを見回す。
　そのとき遙が、池の中に光るものがあるのに気が付いた。
「おい。あの光ってるの、何だろうな」
「魚っぽいが、動かないな。照らしてみよう」
　解理が受付で貰ったライトをつける。池の中のそれは光を反射し、ピカピカと輝く。
「魚の形の置物か？　妙にキレイだし、最近沈められたものだろう」
　遙の言葉を聞き、解理はよし、と白衣を脱いだ。
「僕が取ってこよう」
　解理は慎重に池の中に入る。池はそんなに深くない。魚のようなものがある場所は、膝ほどの深さだ。解理が腕まくりをしてそれを拾い上げようとしたそのとき！

「今日は温泉回でサービスシーンと聞いてきたのだ準備バッチリなのだイェアー！」
　後木 真央が、周りも見ずに走ってきた。
　そして、瞬間脱衣でサラシと赤褌姿になったかと思いきや。

　どっぱ～～～～ん！！！

「ぎゃー！」
「ひゃっほおう！」
　解理を巻き込み池の中に飛び込んだのだ！

「ごぼっごぼっ、だ、誰か助け……！」
　予想外の事態に解理、浅い池で溺れかける。
　慌てて助けようとする七星と遙を制し、躊躇わず池に飛び込んだのは！
「大丈夫よ！　今助けるわ！」
　体はムキムキ口調は乙女、尾鎌 蛇那伊その人だった！
　彼が飛び込むと盛大な水しぶきがあがり、池の水が半分になった。
　蛇那伊はじたばたしている解理の腕を掴むと、軽々とその身を引き上げる。
　そのまま彼女をお姫様抱きに抱いて、池の外へ降ろすと、ついでにお魚くわえたドラ猫状態の真央の首根っこも掴んで池の外にぽいと投げる。
「あ、ありがとう」
　解理は蛇那伊に礼をいった。
「どういたしましてよ」
　蛇那伊は濡れそぼった髪を掻きあげる。
　ふふ、と笑った蛇那伊は、意外と男らしかった。


【春の庭】

　真央は手に入れた魚を手に、春の庭にある浦島太郎像の前に立っていた。
「浦島太郎が釣った魚は、ピッカピカに光るサンマさんだったのだ！」
「正確には、サンマさんの形をした鏡ね。そういえば、廊下のサンマさんポスターの落書きにピッカピカと書いてあったわね。あれもヒントだったというわけね」
　蛇那伊が補足する。濡れてしまった七星、遙、解理、梨香も一緒だ。
　真央が浦島太郎像の手にそのサンマさん鏡を持たせてみる。それは、しっくりとその手に収まった。
「巴ちゃんに聞いた通りだったのだ！　次行くのだー！」
　真央は瞬間着衣で衣服を身に纏うと、あっという間に駆けて行ってしまった。蛇那伊もじゃあね、と手を振って去ってゆく。

　後に残った七星、遙、解理、梨香の四人は互いに顔を見合わせた。
「まずは……身体を拭きましょうか」
「そうね」
「賛成」
「どうだい、みんな。良かったらこのあとも一緒に謎を解くというのは」
　解理の提案に、全員が頷く。そこで七星がぽんと手を打った。
「じゃあ私たち、サンマさんチームということにしません？」
　
　女将にタオルを借りようと笑う少女たちを見守りながら、遙は思った。
　――童心に返って宝探しに挑戦するのもいいものだ。
　――殺伐とした日常を離れ非日常を愉しむのもね。