松林は夜のラビリンス｜リアクション

松林は夜のラビリンス

　星ヶ丘教会の敬虔なるシスター、ゼシカ・ホーエンハイムは一人海岸線を歩いていた。
　布教に熱を上げる余り、すっかり遅くなってしまった。
　疲れた身体は重いが、主やその被造物への奉仕は、彼女にとって喜びだ。

　ふぅと、荷物を降ろし休憩するゼシカの瞳に、労うような白い月が映った。
「主よ、ありがとうございます……」
　感謝と共に祈りを捧げる、清らかなシスター。心洗われる光景だった。

　それを打ち破る、男の太い声が海岸線に響き渡った。

「な、何ですの……？」
　ゼシカはその発生源と思われる、海のある方へ急いだ。
　辿り着くなり浅瀬で大男が目を押さえ、絶叫しているのが見て取れた。
「いかがなさいました、どこかお悪いのですか？」
「いっ、いでえぇぇえ！！　目が、目がぁあー！！」
「お怪我をなさったんですの！？」
　履いたままのブーツにも構わず傍に寄ると、ゼシカは心からの同情を男に示した。
「いでぇよ、チクショウ……砂が、砂が目に入ったから、洗ったら余計に痛くなりやがったんだ……！」
　いい大人が、シクシク泣きながら訴えてくる。
「……もしかして、この海の水で洗いましたの？」
　にわかには信じがたいが。きょとんと聞き返すゼシカに、男――ゴロツキＣは何度も頷く。

「余程、切羽詰ってらしたのですね……さぞ痛かった事でしょう、おいたわしいですわ」
　長い睫を真珠の涙で濡らすと、Ｃの手を取って彼女は天に向かって祈りを捧げる。
「わたくしにお任せくださいませ、すぐに癒して差し上げますわ」

　ゼシカはＣの瞼に顔を近づけ、そっと慈悲の口づけを落とした。
　＜マリアの接吻＞は、他者の傷を癒すろっこんだ。

　痛みが嘘のように和らぎ、驚愕するＣの目には、穏やかな微笑を湛える聖女。
　絹糸のような巻き毛が月明かりに淡く浮かび、この世のものとは思えない美しさだ。
　思わず脚から力が抜け、Ｃは尻餅をついた。
「痛みはいかがですか？」
「あんた……女神様か？」
「とんでもありませんわ、わたくしは神に仕える身。一介のシスターに過ぎませんのよ」
　優しく手を差し伸べるゼシカに、Ｃはパンツが濡れたのも忘れて溜息を吐いた。

「お一人でお散歩ですの？」
　裾についた砂を払って、居住まいを正すゼシカに、Ｃはようやく仲間の事を思い出した。
「そうだ！　忘れてた、俺っちアネゴや備太と一緒に、子供を誘拐しなきゃならねぇんだった！」
「な？　今、なんて？」
　悪びれもせず、バカな事を言ってのけるＣに、流石のゼシカも我が耳を疑った。
「どうしてそんな事を？　何か事情がおありなのですか」
　詰め寄るゼシカの勢いに、Ｃは戸惑い気味だ。

「成程、お金に困っておいでなのですね？　ならば、わたくしが引き換えに人質になります！
　さあ、そのアネゴさんの所まで、案内してくださいまし」
「お、おい、シスター！　ちょっと待ってくれよ～！」
　きびきびと先を歩くゼシカを追って、Ｃも慌てて海を離れた。

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