「今日は先週言っていた通り、壁新聞を作りますからねー。みなさん、ちゃぁんと朝ごはんについて調べてきましたね？」
「――ぇ」

　授業が始まってすぐの白沢 綾子先生の言葉に、朝鳥 さゆるは思わずそう呟いた。それに気付いた白沢先生が「朝鳥さんは先週はお休みでしたね」とプリントを渡してくれたのを、複雑な気持ちで受け取る。
　久しぶりに来た学校だった。そろそろ出ておかないと留年するかと、出席日数を稼ぎに来たら、壁新聞を作るなんて授業で――しかも朝ごはんについて、なんて。

「先生の話が終わったら、プリントを書いてくださいね。――他にお休みだった人は居ませんねー？」

　ぐるりと教室を見回した白沢先生が、朝ごはんの大切さについて話し始めるのを聞き流しながら、さゆるはプリントに視線を落とした。朝ごはんか、と小さく呟く。

（……そう言えば、母さんが死んでからろくなの食べてないな……）

　3年前に両親が事故で居なくなってから、さゆるの生活は一気に傾いた。金銭的には何の憂いもなかったけれども、或いはだからこそ、この胸の中にぽっかりと空いてしまった寂しさを紛らわせるように、我ながら適当な日々を過ごしてしまっていて。
　朝ごはん、なんて食べる事が珍しい。もともと低血圧で朝が弱いせいもあるけれども、食べるとしても大抵がコンビニかファーストフードで、せいぜい気が向いた時に簡単なサンドイッチを作れば良い方だ。
　そんな自分が、朝ごはんについて調べて壁新聞を作って発表だなんて、何の皮肉な巡り合わせだろう。つい、そう思わずには居られないさゆるから、少し離れたところでは花厳 望春が、うーん、と自分のプリントを前に悩んでいた。
　白沢先生は教室をゆっくりと見回しながら、朝ごはんは1日のエネルギーの元になるのだから、と言う話をしている。それを聞くにつけ、望春はしみじみ考えずには居られない。

（……俺の家の朝ごはんって、もしかして普通じゃないのかな……？）

　チラッ、と見下ろした自分のプリントに書いてあるのは、メニューがご飯に納豆と卵、材料はお米、納豆、卵といった内容だけ。作ったのは――お米を炊いたのは自分だけれども、納豆は業者だろうし。
　現在両親が海外赴任中の花厳家では、家事は姉達とローテーションを組んで回している。だから当然食事も望春達が用意をしているわけで、さすがに抜くのは良くないと朝ごはんも何かを食べるようにはしているのだが、さすがにシンプル過ぎないだろうか、と心配になってしまう。
　こんなんでいいのかな、と何度も自分の中で繰り返した問いをまた胸に蘇らせたものの、両親が居た頃とて立派な朝ごはんを食べていたわけではない。果たして、他のみんなはどんな朝ごはんを食べているのだろうか。
　そんな事をつらつらと考えているうちに、とろん、と眠くなって来て望春は小さく欠伸を噛み殺す。だが我慢してちゃんと先生の話を聞かなければと、自分自身に言い聞かせる間にも瞼がどんどん重くなって来て。
　そんな望春の耳には、朝ごはんについて話す白沢先生の声がどこか、子守唄のように心地良く響いた。

「皆さんの中には朝ごはんはあまり気にしていない、食べていない、という人もいるでしょう。でもね、今お話ししたように、朝ごはんってとっても大事なんですよ？」

　そんな白沢先生の言葉に、確かに、と頷く生徒は今日の授業場所である家庭科教室の中に、少なからず居た。ぴんと背筋を伸ばして前を向く、天満 七星もその1人だ。

（朝は大事ですわよね）

　心からそう思っている七星はもちろん、朝はちゃんと時間をかけて、ゆっくりご飯を食べている。プリントに書いてきた朝ごはんは、彼女がいつも食べている純和食のそれ。
　朝にきちんと食事を取ればこそ、1日にも張り合いが出て、言うなれば輝きのようなものが出るのだと思う。そんな風に1人、納得した七星とは対称的に神野 美野梨はと言えば、朝ごはんには気を使ってない、という白沢先生の言葉に頷いていた。
　それでも一応、食べては居るのだけれども、普段はコーヒーと食パンとか、シリアル食品で済ませることも多い。だからプリントにもありのままに書いてきたのだけれども、それを壁新聞にするとなるとなかなか、面白い記事にするのは難しそうだ。
　そう気付き、美野梨は軽く眉をしかめた。そんな、自分でも面白くならなさそうなものを作っても楽しくなさそうだが、授業を放棄するわけにもいかない。
　ならばせっかくのこの機会に、理想の朝食――食べたい、と言う意味ではなく、栄養バランスも考慮した効率の良い朝食という意味だ――について研究してみてはどうだろうか。それを基にして発表すれば、面白くなりそうだ。
　そう考えてしまうのは、研究者気質のなせる業だろうか。思いもかけず楽しくなってきた美野梨から少し離れた机では、榊原 巡が苦労した宿題のプリントをじっと読み返している。
　苦手だけど出来るだけ頑張ろう、と始めたは良いけれども、あまり頭が良くない方だと自覚している巡だ。その苦手意識が余計に苦手を加速させるのか、朝ごはんについて、と言う単純なテーマでも随分と梃子摺ってしまって、昼休みまで頑張っていたのである。
　おまけに『今日の朝ごはんは鮭の焼き魚で、とっても美味しくて……』と思い出しただけでもろっこんのせいで、焼鮭味の飴玉が出てくる始末。焼鮭は美味しいけれども、それが飴玉となるとなかなか微妙だ。
　だがその苦難（？）も乗り越え、焼鮭味の飴玉を舐めながら、無事に巡の宿題は完成したのである。それを思うと感無量で、何度だってプリントを見てしまうのは、仕方のないことだろう。
　誇らしげに見下ろしたプリントには、ご飯、鮭の焼き魚、わかめのお味噌汁、たくあんというメニューが書かれている。1人暮らしだから作っているのは巡で、材料はお米、鮭、わかめ、お味噌、大根――

（あれっ、たくあんって大根で良かったよねぇ……？）

　ふと不安になって、巡はこくりと首を傾げた。それともたくあんには、何か別の野菜が使われているのだっけ？
　うーん、と考え込んでしまったものの、白沢先生にそれを尋ねる訳にもいかない。今は壁新聞の作り方について、大きめの文字で見やすいようにとか、文字ばかりでは読むのが大変ですからイラストも入れて、とか話しているのだし。
　後で聞くの忘れないかな、と不安になる巡とは裏腹に、椿 美咲紀は早くも壁新聞作成に思いを馳せていた。何しろ新聞部所属としては、間違っても残念な壁新聞など作るわけにはいかない。
　だから美咲紀が目指すのは、個性的な壁新聞。そんな風に早くも壁新聞の作成の方に思いを馳せているのは、実の所は三ヶ島 葵も一緒だった。
　公式と非公式の違いはあれど、同じ新聞部としてはやはり、腕が鳴る。ふっふふー、とほくそ笑む葵とて一応、朝ごはんのことも考えようとはしたのだが。

（いまいちよくわからないねー……）

　なぜなら彼女の覚えている朝ごはんと言えば、実家に居た時だって菓子パンとかお弁当とか、スーパーの惣菜がメイン。何しろ両親が忙しかったのだから、仕方のないことである。
　だから彼女自身も、思い返せば朝ごはんをあんまり気にしていなくって。宿題のプリントだって、今日の朝ごはんのカップラーメンを元にして、私がお湯を入れたからこの化学物質の集合体はカップラーメンとして世に生誕したから作ったのは私でいいよねー、といった具合で書いたくらいである。
　そんな生徒達に良く見えるように、白沢先生はチョークで黒板に、栄養素が書いてある教科書のページを書いて、こう言った。

「じゃあみなさん、まずは栄養バランスを調べてくださいねー」
「いよいよ壁新聞か～、朝食の紹介？　任せておきなよ、俺の朝食は凄いよ！」
「わかりやすい壁新聞を真面目に作りましょう」

　やっと話が終わった、と大きく伸びをしながら言った横嶋 下心の言葉に、森 蓮も大きく頷く。とくに蓮は、家庭科が得意科目でもあるし、せっかくの朝ごはん紹介と言うことで猫鳴館での野菜作りや、収穫した野菜の調理にも触れよう、とやる気だ。
　そうしてざわつき始めた家庭科室の中で、はッ！？　と慌てて周りを見回す生徒が1人。ついに眠ってしまっていた望春、その人である。

「うわ、ヤバッ。今一瞬寝てた！？」
「花厳君……？」
「あ、いや寝てません。寝てませんよ！！」

　白沢先生の穏やかな、だが少し咎める響きを確かに含んだ声色に、望春は慌ててぶんぶんと首を振った。だが、必死に言えば言うほど寝ていたと告白するようなものだと、あちこちから漏れ聞こえる苦笑に悟って、がっくり肩を落としたのだった。