おかしな一日｜リアクション

おかしな一日

　店内に制服を着たシダ美穂戸が勢いよく入ってきた。赤い目がカウンターにいたマキナを瞬時に捉える。
「シンチャオ　彫刻刀あるか　彫刻刀」
　シダはピンクの髪を躍動させて彫る真似をした。マキナは圧倒されたかのように言葉を選んで言った。
「種類は多いよ。セットもあるし、一本売りもしてるよ。どんな種類の彫刻刀が欲しいのかな」
「ひだりじんごろう　ねむりねこ　みたいなの　木　彫る　彫刻刀」
　先程よりも熱心にシダは彫る真似をした。
「木を彫りたいんだね。彫刻刀の種類は作る物にもよるかな」
「ベトナム雑貨店チュックマイマン　知ってるか」
　彫刻刀の話から一気に逸れた。マキナは、聞いたことあるかな、と戸惑う笑顔で答えた。
「あそこ　シダの家　あの裏に　ボビナム道場ある　知ってるか」
　マキナは弱々しい笑みで首を傾げて見せた。
「ボビナム　ベトナム格闘技　見せようか？　いや　見ろ　この　黄金の足　蹴り　見ろシダ　ダダ　ダダ　ダ！」
　左右の鋭い蹴りを周囲に放ち、軽々と跳んだ。仮想の敵に中空で蹴りを浴びせ、着地と同時に更なる一撃を加える。風圧に耐え切れなかった文具類が次々に倒されていった。
「おー　なんか　いっぱいおちて来た　シンロイ　ごめん」
「拾えばいいから」
　マキナは落ちた物を拾って所定の位置に収めていく。シンロイ、とシダは頭を下げて手伝った。
　数分の作業を終えると、凛々しい表情のシダが話を最初に戻した。
「この間　道場やぶり　来た　ヴァン　たのもー　いざ　じんじょうに　勝負ー　もちろん勝った　いま　うちの道場　看板　かまぼこの板　サインペンで　かいた　これ　はずかしいな？」
　少し迷ったような間を空けてマキナは頷いた。
「だから　看板　作りたい　立派そうな板　魚屋で　もらった　四角い　これくらいの」
　シダは自分の顔よりも大きな四角い形状を両手の動きで表した。
「俎板のことかな」
「まな板？　シダ　よくわからん　それ　文字彫る　だから　彫刻刀くれ　長かったな　説明」
「本当に長いよ」
　マキナは屈託のない笑顔で言った。ふらりとカウンターから離れ、棚の下にある引き出しから一つの箱を取り出して戻ってきた。
「この長方形の箱に一本の角刀が入ってる。良い品物だよ」
「おお　よく切れるか？　じんごろうか？　ねこ彫る　動くか？」
「腕次第かな。がんばってみてよ」
「じゃ　これもらおう」
「ありがとうございます。よかったら、お菓子も食べてみてよ」
　マキナはカウンターの容器を手で示した。
「お菓子　くれるか？　うれしいな　シダ　好き　シカせんべい　ないか　シカせんべい」
「鹿せんべいはないけど、炭酸せんべいはあるよ」
　シダはせんべいの単語に反応した。おいしいのか、と頻りに聞いてくる。
「美味しいと思うよ。少し待ってくれるかな。思い付いた食べ方があるからさ」
「いいぞ　シダ　ここ　いる　せんべい　好き」
　マキナが奥に消えると、シダは文具類に目を向けた。コンパスの鋭い尖端を目にした途端、上体を激しく動かした。避けるような動作から膝が垂直に上がり、すっと下ろした。
「黄金の足　あぶない　蹴り　ダメ」
「お待たせ。炭酸せんべいでアイスを挟んでみた。食べてみてよ」
「カムオン　ケムか　アイス　好き　食べる」
　シダは大きく口を開けて齧り付く。マキナは期待を込めた目で見守った。
「ンゴーン　おいしいぞ　これ　せんべい　おいしい」
「気に入ってくれてぼくも嬉しいよ」
「シダも　うれしい　おいしい」
　手放しで喜ぶシダに、おおげさだよ、とマキナは照れ臭そうに言った。
「おかわり　頼む」
　シダは愛らしくウインクをした。
「いいけどさ。そんなに美味しいのなら、ぼくも試してみようかな」
「おいしい　試してみろ　シダ　おすすめだ」
「なんか、逆に勧められちゃったよ」
　立場の逆転にマキナは呆れた顔をしながらも、いそいそと奥に引き返すのだった。

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