さよならのむこうがわ～深淵特急『死兆星』の旅～｜リアクション

さよならのむこうがわ～深淵特急『死兆星』の旅～

　
　滴の覚醒には至らない。しかし今一歩。後少し。手応えはあった。
「このまま列車が終点に着いたら、みんな死んじゃう。ラっちゃんも……」
「ワットもね。絶対、そんなことさせない！」
　四ツ葉乃キィも稲積柚春にも大切な者が在る。それぞれに意味合いは異なれど、守りたい想いには相違ない。
「ラっちゃんは私が守るわ！」
　深泥王を横目に見据えながら、キィが目を付けたのは機関室を動かし列車へ燃料を供給する機関士だ。
「機関士がいなくなれば、列車は止まるかしら？」
　ちょっかいをかけ走行を妨害し、追ってきたところで石炭庫や火室へ閉じ込め、キィの能力を用いて閉じ込める。といった作戦を考えたが、どうやら彼らは石炭を火室へ運ぶことしかできないらしく、意識を引きつけることはできなかった。ならばと得意の狙撃・投擲を活かし、石炭を投げつけ頭部をヒットするも、昏倒させたところで次の機関士がどこからともなく現れ手順を交代するのみだった。
「ブレーキハンドルは……触れないほうが良さそうかしら」
　仲間たちはある作戦を遂行中であるらしい。列車が止まればそれに越したことは無いが、キィは意識を切り替え彼らに協力することにした。
「稲積さん、列車を何とかするのは後回しね。まずは黒白さんを！」
「うん。目覚めさせる！」
　キィは柚春や仲間らのサポートへ回り、石炭を的確に投擲して深泥王の狙いを引きつける。小さな身体は錫杖や触手めいて伸びる闇をくぐり抜けやすく、身軽な体さばきは囮役として大いに働いた。
　その間に柚春は、首から提げたペンダントを外し、祈りを込めるよう握りしめた。
「サニーは……あそこだね。猫にアロマオイルは厳禁だから、気をつけないと。どろでろろが外と車内を遮断してるのは返ってラッキーだったな。風の流れを受けずに済むから」
　柚春の武器はナイフでもなくコンバットブーツの靴底でもなく、投げつける硬い石くれでも攻撃的なろっこんでもない。自らブレンドしたアロマオイルの香りだ。
「僕に力は無いけど。あなたには、記憶がある」
　虚ろながらに瞳を見開き、空を見つめて浮かぶ滴へ届けと、ペンダントトップを捻り、封じられた香りを解放する。
「例えば、入学式？　お花見の思い出？　ほんの他愛のない、公園でのお昼寝の記憶？　何でもいいんだ。それが綺麗なものでも、儚いものでも……楽しい思い出でも悲しい思い出でも。全て、あなたを形作るものだから。黒白さん」
　香りは機関室の油臭く焦げた匂いを覆い、広がってゆく。あまり長持ちする類の香りではなく、床に転がるパイプの中をじりじりと進む黒猫が到達する頃にはすっかり散っているだろう。計算の上だ。
「人を恨み、世界を呪う前の、あなた自身が生きた頃の記憶を思い出して。暖かな春の木洩れ日、優しい始まり……必ずどこかにあるはずの記憶とともに、絶望からさよならするんだ」
「サニーにも、黒白さんにも、どうか。どうか、幸せな未来への扉の鍵を、あなた自身が開いて……！」
　香りに乗った言葉が、柚春の、キィの言葉が、闇をたゆたう滴にさらなる変化をもたらした。
　深泥王の発する呪詛の波は失せている。代わりに漏れたのは抑揚なく人工的にも思える乾いた声だったが、まぎれもなく人の心の発露だった。

＜あ、あ……あああ、うあああああっ。死にたく……ないよぉ。私、死にたくなんて……！＞
　