あなたがここにいてほしい｜リアクション

あなたがここにいてほしい

「何か誤解してる？」
　北風貴子は伊賀解理に言った。
「交際してるわけじゃないからね。十輪田先輩には彼女もいるって話だし」
　まったく伊賀さんったら、とまでは言わないが貴子はいささかあきれ顔だ。
　自分に彼氏ができたと、先を越されて悔しいと解理が思っているのではと解釈したのだ。解理には恋人がいたような気もするが定かではない。
　まあ誤解は解いておくべきだろう。貴子はつづける。
「いまから先輩の部屋で鍋パーティなの。マタ大のボランティアサークルのみんなで集まって。お鍋は用意されてるから、飲み物だけもちよって。女性の先輩もたくさん来るよ。鍋パは『ULTRA FEEL』の名物なんだって。なんかシークレットで面白い趣向も用意してるとか聞いてる」
　つらつらと楽しげに語る貴子だが、対する解理の表情は暗いままだった。
「楽しんできてください。気を付けて」
「ありがとう。もちろん夜道は気をつけるよ。車道を横切ったりはしないし」
　そうじゃなくてと言いたかったが、貴子の気持ちをそぐような発言は解理にはできなかった。
「じゃあね、また」
「はい。じゃあ……」
　見送るほかない。
「さよなら、貴子さん」
　貴子は振り返らず、手を振って小走りで去ってゆく。
　貴子の背中が見えなくなるまで、解理はその場にたたずんでいた。
　さて、と解理は思った。背中を丸めて歩き出す。
　帰ろう。入試まであと何日もない。いまは勉強に集中しなくちゃ。
　寒いなぁ。
　困ったことに風が強くなってきたのだった。それも向かい風、きつくて冷たい。唇がガサガサになりそうだ。
　ああ、嫌だ嫌だ。
　貴子さんはパリピと楽しく陽キャなイベント、僕は暗い部屋でカリカリと孤独な受験勉強かぁ。
　だめだめ、そんな気持ちじゃ！
　解理は両手で我が頬をパンパンと叩いた。逆境にくじけるなといま、自分に言い聞かせて。
　マタ大受験は僕にとって通過儀礼、この試練を乗り越えないかぎり明るい明日はないんだよ！　見事合格を勝ち取ったら晴れて寝子島残留、ハッピィ女子大生生活が待ってる。まあハッピィ女子大生っていっても僕の場合、エビディパーティウハウハディなんてことはなくて、寝子島の史跡を調べ落神伝説を追い、あわよくばその一端でもつかもうという日々になるだけな気がするけど。でもでも、それだって楽しいことはまちがいないわけだ。うん。
　ずんずんと歩く。軍隊の行進みたいに膝を高々と上げて歩く。
　だからいまは受験勉強に集中しよう。未来へのチケットを手に入れよう。
　十輪田と『ULTRA FEEL』の正体は大学入ってから暴いてもいいはず。合格してからでも遅くはないよ。
　……。
　…………。
　いや遅いよォ！
　解理は足を止めた。というよりは急停止したというほうがより正確だ。
　合格してからだって！？　いまそこにある危機を見て見ぬふりして未来へのチケットだぁ？　手遅れになったらどうすんだよ！　そんなことになったら僕絶対絶対後悔するよ一生！
「大事なのは現在（いま）だッ！」
　声に出して解理は反転した。
　自分に嘘をつくのはやめた。
　狼が潜む寝床に足を踏み入れる人を見過ごす人はいない。
　誰だって助ける。僕だってそうする。つまりはそういうことだよ。
「貴子さん！」
　反転すれば向かい風は追い風だ。風を背に受け走り出す。