あなたがここにいてほしい｜リアクション

あなたがここにいてほしい

　まァ、あれだな。
　歳を取ると節々が痛むとか、歩くにも不自由するっていうが。
　幸い俺の場合、そういうのはねェな。
　……けども、早々に目が覚めちまうのばかりはどうにもこうにも、な。
　また、早すぎる朝が訪れた。夜明け前である。外は暗い。片目をあけて見た時計は、早朝というよりは夜中と呼ぶほうが適切な時間帯だった。
　早起きは苦じゃねぇが、こんな朝っぱら、いや、夜中に起きてすることなんざねえ。もうちょっと寝かしてくれや。
　伊織紘之助は寝床でしばし転がった。鎧戸をおろすようにしてまぶたを閉じ、しばし身じろぎすらせぬよう試みても、眠気が訪れるどころかますます目は冴え、四肢は活動再開にそなえみなぎるばかりだ。
　歳とって基礎代謝が落ちたから、長く眠る必要がなくなったって説もあるがな。ホントのとこどうなんだか。
　若ぇころはそれこそ、うんと鍛えて大酒くらったあとなら一日だって寝てられたモンだ。昇天の朝焼けかと思って眺めていたそいつが、日没の夕焼けだったという笑い話みたいな経験もあったな。
　それがこの通りかよ。
　まったく、爺（じじい）には惰眠をむさぼる自由もねえってか。

　やんぬるかな。小一時間ほどねばったものの、あきらめて紘之助は起床した。
　今日もまた、長い一日がはじまる。

　退屈だ。
　これでまだ、自身院長をつとめる鍼灸・接骨院の開院日であればやることもあるだろう。しかし今日のような休診日は実に困る。
　朝の鍛錬は欠かさないが、何十年とつづけていることなので日が昇る前には終わってしまった。配達員から直接受け取った新聞はたちまち読み終え、しょうことなしにボロボロになった医学書をめくってみたり、最近ますます政治家の広報誌みたくなってきた医学会誌に目を通すも、くだらなさすぎてすぐ古雑誌の束に押しこんだ。
　洗濯や掃除はまめにやるほうだ。だから今日やるべき量などたちまち片付いてしまった。
　昼餉を平らげ、洗い物を片付けてもまだ夜まではずいぶんな間があった。
「……やることがねえな」
　正座して腕を組み、つぶやく。
　時間を持て余すようになった理由はわかっている。
　独り暮らしになったからだ。
　洗濯も食事の支度も量は単純計算で半分、しかも老人の独居だから実際は半分どころではない。ブルドーザーのように喰らい悍馬みたいに汗をかく孫が去ってしまったので、ごくわずかでしかない。正直張り合いがなかった。
　一応テレビはあるのだが、ニュースは新聞のおさらいにしかならずしかもすぐ終わった。歴史や芸術、サイエンスのドキュメンタリーなら興味があるとはいえたいがい夜の、しかもせいぜい一時間程度の放映だ。あとは一日中芸能人が空騒ぎするワイドショーかバラエティばかりで、スイッチを入れても虚しくなるばかりだ。
　昔ならもうちったぁ、テレビで映画もかかったもんだがな。
　こういう発想は老人くさいと言われもしようが、事実なのだから仕方がない。味気ないものだ。
　旧市街の名画座では、往年の仏映画監督の作品がリバイバル上映中だ。行ってもよかった。狂気スレスレの芸術性に、かつてリアルタイムで鑑賞したころの血が騒ぎ、ニヤニヤもできたことだろう。だが残念ながら、日替わりプログラムの内容はすでに先週鑑賞済みの内容だった。
　しょうがねェな。
　立ち上がって紘之助は外套をハンガーから外した。
　家でじっとしとくにゃ、今日は天気が良すぎらァ。

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