あなたがここにいてほしい｜リアクション

あなたがここにいてほしい

　智瑜はとても上機嫌だ。
　まさか平日夕方に義弘先生と、突発性のデートができるとは思いませんでした。
　現在、智瑜はシーサイドタウンを義弘と歩いているのだった。
「義弘さん」
「『さん』はよしてくれないか。『先生』にしてくれ」
「はーい。でもせめて、私のことは『智瑜』って呼んでくださいね。クリスマスのときはそう呼んでくれたんですから」
「あ、あれはその場の雰囲気に流されたというか……」
「じゃあ今夜も流されちゃいましょう。でなきゃ私、先生の腕をとって私の胸におしつけちゃいますよ」
「待て！　そ、それは周囲の目が……っ！」
　観念したようだ。「ではこのひとときだけだぞ」と強調した上で義弘は、彼女を「智瑜」と呼ぶことに同意したのだった。
　あまり困らせるのはやめましょう。困っている先生も、とっても可愛いのですけれど。
　なので智瑜は、とりあえず名前呼びを受けるだけで今宵は満足することにした。
　義弘先生との距離、どんどん埋まっていきます。
　卒業したらもう教師と生徒の関係じゃありません。
　そのときは――『義弘さん』からもう一歩進んで、『よしくん』って愛称で呼んでみましょうか。甘えるときには。
　直接義弘に明かされたわけではない。だが彼にはひそかに、愛称で呼ばれたいという願望があるのだった。智瑜はこれをなんとなく感じ取っていたのかもしれない。
　数学教師に恋する乙女のためか、智瑜は計算速度が上昇していた。『リック』の誤解をとく代わりに、夕方から宵の口の寝子島を一緒に歩いて、なんなら夕食もともにするというアクシデンタルなデートの約束を義弘にとりつけたのである。智瑜の仲裁と説明により義弘とリック、双生児のような彼らはすぐに和解し、連絡先の交換すらして友好的に別れた。
「それにしても驚いた。こういうこともあるのだな。あんなに自分と似ている人物を見たのは初めてだ」
　しみじみと義弘は言った。
「でも性格はちがいますよね？」
「そうだな。根本的なところを言えば彼は文系だ。一方私は、自分で言うのもなんだがゴリゴリの理系人間。しかし服の趣味は似ているようだし、一度じっくり話し合ってみたいものだ。比較検討のためにな」
　たとえ自分にかかわることであっても、つい客観的に『データ』として見たい気持ちが義弘にはあるようだ。
「ところで義弘先生、最近なんですが」
　智瑜は話題を変えた。
「マタ大に危ないサークルがあるって噂が流れてきたんです。義弘先生は知ってますか？　ボランティアサークルをよそおっているけど、実際は女の子をだまして……その……」
「みなまで言わなくていい。智瑜」
　とくに抵抗なく『智瑜』と言えたあたり、実はもう義弘には将来への準備ができているのではないか。ともかく彼は言ったのである。
「その噂は、ついいましがた私も得たところだ。あの大学は生徒数が多い。可能性はあるだろう」
「私も春からマタ大に通う予定だから気を付けないと、ですね」
「もちろんだ。女性に自衛をうながすばかりなのは男性として心苦しいが、現時点では注意喚起しかできない。しかし」毅然と義弘は言う。「われわれは真相究明を希求するし、ある程度真相があきらかになったとしたら、大学側に問いただす機会も設けたい。高校教師の役目というのは、大学に生徒を送り出せばそれで終わりではないはずだ」
　なぜなら！　と語る彼の声には、数学の証明問題を解説するときと同じ熱さがあった。
「われわれは入学した生徒すべての、高校時代という貴重な三年間を預かったからだ。ゆえに彼らの未来にも責任があると思っている」
　とまで告げて、照れ隠しのように義弘は空咳した。
「すまん、こんな演説を聴かせるつもりではなかった。つまらないことを話してしまったか……その……デート、にはそぐわないような」
　けれど智瑜は首を振るのである。
「そんなことないです。義弘先生、格好いいです」
「ありがとう」
　照れたように笑う義弘の表情、これを知っているのは自分だけですと智瑜は思う。
「でも例の噂、本当だったとしたら私にとっても乙女のピンチですよね。初めてを先生に捧げる前に襲われたら大変ですから」
「そうか……い、いやちょっと待てっ！」
　義弘が絵に描いたように泡を食ったのがわかった。
「発言は考えてするように！　わっ、私はそういう発言には慣れていない」
「だったら慣れましょうよ」義弘の腕を、ぎゅっと抱きしめて智瑜は言う。「先生、私のこと、守ってくれますか？」
「守……」言いかけた義弘だったが、智瑜から逃れて首を振った。「いや、その話はせめて卒業後にしてくれないか！？」

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