芸術科とはいえ、楽器に馴染みのある生徒ばかりではもちろんない。だから初級クラスを選んだ小山内 海を始めとする生徒の多くは、まずは楽器選びから始まるわけで。
　うーん、と困って楽器の間をうろうろと歩き回る。何しろ音楽専攻というわけじゃないから、演奏と言ってもよく解らないし、何より自信もない。

（どの楽器が簡単そうかな）

　そう考えてあれこれ見て回る、海と同じように夢宮 瑠奈も悩んでいた。特に瑠奈の場合は、歌う方なら普通にたしなんで居るけれども、楽器はそれほど――だから尚更だ。
　もっと、いろんな楽器を使えるようになりたいと思う。だったら何が良いかと考えて、結局フルートを選んだ理由も実のところ、吹けたらかっこいいなと思ったから、だったりして。
　音楽といえども初心者の気持ちで学ぼうと、フルートを大切に取り上げた瑠奈である。その傍らに置かれていたハーモニカを、桜 月が選んだのも実は、瑠奈と同じような、そしてそれよりももっと単純な理由だった。
　月が芸術科に居るのは服のデザインを学んでいるからで、音楽とは一切関係ない。けれどもまだ小さい頃、絵本で子供がハーモニカを吹いていたのを、彼女は読んだことがあった。
　それがなぜだか今でもとても、印象に残っていたから。あんな子供が出来るのなら自分も出来るはずだ、という気持ちと、あんな風にハーモニカを吹けたら格好良いな、とほんの少しばかり憧れている気持ち。
　そんな風にみんなが楽器を決めていく中で、困ってしまって岡野 丸美は津止 孝道先生に、思い切って相談してみる事にした。

「私が楽譜をすっかり読んで、楽器の演奏を憶えたりしてたら、完成前に時間切れ……になっちゃうと思うんです」

　何しろ楽譜をそのまま読めないから、メロディーラインを聞かせてもらって、音符に1つずつ仮名を振り、1つ1つ音を拾いながら読み返して、ようやく理解出来るというレベル。その上小学校であんなに習った、リコーダーやピアニカの指使いすらうろ覚え。
　せっかく合奏するのだから、曲に濁った色を混ぜたり変なところに目立つ色を乗せて、全体の画調を狂わせたりはしたくない。といって、ならばどの楽器が1番迷惑をかけずに済むのかすら、丸美には解らないのだ。
　そう訴えると津止先生は、ふむ、とほんの少し考えるそぶりになった。それから「なら先ずは聞いてみなさい」と、『威風堂々』のCDをかけてくれる。
　既に練習を始めている生徒の迷惑にはならないように、適切に絞った音量でスピーカーから流れて来るメロディ。それを聞きながら上穗木 千鶴も色々と、楽器を見比べていた。と言っても彼女は軽音部、普段はベースを弾いているから、まったく馴染みがない訳じゃない。
　とはいえ、どの楽器を使っても良いというせっかくの機会だし、違う楽器に挑戦してみたいとも思っていて。かといって、最後は合奏をするのだからあまり上手に演奏できないのもなあ――と悩んでいたりして――
　そんなみんなの、わいわいと賑やかな楽器選びをぼんやり眺めながら、マリベル・ロイスは『威風堂々』に耳を澄ませた。

（イギリスの人が大好きな曲、てイメージや）

　それは曲の由来を知っているからこそ、尚更強く思い起こされてしまうイメージかもしれない。『イギリス第2の国歌』、『イギリス愛国歌』と称されるほど愛されている、これはそんな楽曲だ。
　マリベルがやりたいのは、いつもメインで担当しているティンパニともう決まっている。だから落ち着いたらティンパニを取りに行こうと、今は騒ぎが収まるのを待っているばかり。

（……あ、打楽器が皆と一緒に練習していいか、津止先生にきいてみよ）

　こうしてぼんやりして居るのももったいないと、考えてマリベルは席を立ち、初級の生徒達が楽器を選ぶのを腕組みして見ている津止先生の所へ向かう。担任の先生なのに実はあまり喋った事がないから、これをきっかけにコミュニケーションが出来れば良いなとも、ちょっと思っていたりした。
　そんなマリベルと同じく、既に自分の楽器を決めている生徒は、初級クラスの中にもちらほら居る。例えばアイドルを目指している姫神 絵梨菜はと言えば、津止先生の始まりの合図が出るや否や、早速学校の備品のエレキギターを借りて、練習場所を探し始めていた。
　このご時世、アイドルと言っても千差万別だから、アピールする特色は必要だ。何より絵梨菜自身もちょっと、ガールズバンドのギターボーカルみたいにエレキが弾けるようになりたいな、と思ってる。
　けれどもやりたい楽器が決まっているからこそ、笛吹 音花は不安が募る一方だった。せっかくの合奏、ぜひ頑張って完成させたいと、心から思っては居るけれども。

（……今回はリコーダーって……きっと出番ない、ですよね……？）

　あぅ、とがっくり落ち込んでしまう音花である。持っている楽器といえばアルトリコーダー1本のみだというのに、そもそも他の楽器に音量で負けてしまって、どうにもならない予感しかしない。
　パートの都合で津止先生に、別の楽器に持ち替えろと言われてしまうかもしれない。そうしたら、もしかしてクラリネットならリコーダーとは同じ縦笛繋がり、慣れやすいかも知れないけれども、ちゃんと音が出せるだろうか。
　そんな事をぐるぐる考えているうちに、どんどん落ち込んできて音花はしゅん、と肩を落とした。

「リコーダーは古くは花形楽器でしたが……今ではマイナー楽器……。『威風堂々』……私には荷が重いのかもしれません……」
「そんなことはないよ」

　そんな音花に真面目な顔で声をかけたのは、伊賀 解理だった。彼女が使おうとしているのも音花と同じ、持参のマイリコーダーだ――音楽室にも備品ではあるだろうけれども、誰とも知らない相手と間接キスはさすがに、ごめん被るので。
　そんな理由で持参しているリコーダーを、袋から取り出しながら彼女は音花へと告げた。

「一応、僕がこいつを選んだのにも、まともな理由があるのだ」

　そうして、解理が語った事には、『威風堂々』は演奏開始から5分頃からの1分間ほどの部分は、リコーダーでも演奏出来るのだという。とはいえもちろん音花が心配した通り、オーケストラで聴くような壮大さとはまた違った、静かでちょっと切ない感じの音調になってしまうだろうし、他の楽器との合奏にも向かないかもしれないが――
　そこで少し言葉を切って、ちら、と解理は視線を脇へと向けた。そこにはいつの間に来たのか、見回りを始めたらしい津止先生の姿がある。

「ダメですかな？」
「いや。他のパートを吹いても構わない。それもまた音楽だ」

　解理の言葉に、津止先生は真面目に首を振ってそう言った。楽器は何でも良い、と最初に言ったのは先生自身なのだから、本来の楽譜に含まれていない楽器を使うことだって、何の問題もないという事だろう。
　或いは楽譜を正確に解釈出来るかという事はもちろん、そこからの創造性すら見られて居るのかもしれない。津止先生の言葉に顔を輝かせて安堵の息を吐いたものの、その可能性に気づいて音花はまた、緊張に固まった。

「い、いけません。それなら、ますます頑張らないと、課題は達成できません……！」

　リコーダーを使えるのは安心だけれども、腕前はといえばやっぱり、まだまだ初心者の域なのだ。リコーダーアンサンブル同好会として活動している分、少しはまともに演奏出来るけれども。
　そう、気を取り直してぐっと拳とリコーダーを握り締める音花に、そうそう、と響 タルトが明るく笑った。持ってきたベトナムの鼻笛という、珍しい楽器を鼻に当てて、ぷー、と鳴らす。

「初心者だからって小さくなってることはないと思うよ～。音楽って、音を楽しむって書くじゃない。楽しいのが一番だよ♪」
「……そ、そうですよ、ね……」
「そうそう。ね、君も吹いてみる？　これ、けっこう面白いよ～。リコーダーと違って指使いで苦労することもないし。思い通りの音を出すのは大変だろうけど……」

　そう笑ってタルトはまた、楽しそうにぷー、と鼻笛を吹き鳴らす。ちらりと津止先生がそんなタルト達を見て、そうして何も言わなかった。