ひねもすのたり、雲の切れ間に｜リアクション

ひねもすのたり、雲の切れ間に

　寝子島マリンパラダイスは寝子島の中でも有数の観光スポットである。休日の今日などは、島の内外から訪れるカップルや家族連れ、友人同士などで大賑わいだった。
　その人ごみのざわつきのせいで、薄暗いライティングの中様々な生き物たちがガラスの水槽の中を浮遊している幻想的な雰囲気も、３割減といったところだ。
「神無さんは、こういう空気は苦手ですか」
　ざわめきに掻き消されないよう、少し大きな声で透が訊いた。
「いえ別に。……まあ好きってわけでもねっす。俺より日月先生の方が見た目そんな風っすけどね」
「そうですか？　たしかに神経質なところはあるかもしれませんが、特に大衆嫌悪的な性向ではないと思いますよ」
　透と神無は人ごみに流されるようにして、順番に水槽の前を通り過ぎてゆく。そこに展示されている魚や、貝や、その他諸々の生き物たちを見るともなく見ながら、２人は入り口から出口へと向かっている。
「こうしているとまるで自分たちが回遊魚になったような気持ちがしますね。いや、流されているだけですから、むしろボトルメールの方が適切でしょうか」
「コーラの空き瓶じゃないだけマシっすね」
「ただ流されるままに漂うというと、クラゲを思い出します。漂う、とは言っても実は彼らもわずかながら遊泳能力を持っているんですがね」
「へえ、あいつらも適当に流されてきてなんとなく漁網にかかったりしてるわけじゃないんすか」
「それは多分なんとなくだと思います」
　そんな他愛もない会話を繰り返していると、やがて２人は吹き抜けになった部屋の真ん中を貫く巨大な水槽の前までやって来た。この部屋は他よりも広く、人の流れに押し流されることもなく観賞することが出来そうだ。
　中央の水槽の説明書きには『黒潮のいきもの』と銘打ってあった。
「神無さんは何か興味のある海の生き物はいますか」
「俺っすか？　そうっすね、シャチとか。海の王様って言われてるくらいっすから」
「シャチですか。シャチはクジラやイルカと同じく海洋性の哺乳類ですね。その中でもイルカの仲間になります。正確を期すならば鯨偶蹄目クジラ類ハクジラ亜目マイルカ科シャチ属。そしてこのシャチ属に含まれるのはいわゆる私達がシャチと呼んでいる種、１種のみです。まあ近年ではその中でもいくつかのグループに分けようとする動きがあるみたいですが……」
「さすが日月先生。獣医なだけあって詳しいっすね」
　シャチについての講義が長くなりそうな気配を感じた神無は、遮るように口を開いた。
「……そうですね」
　すると透はそう呟いたきり黙り込んでしまった。
　神無は自分のせいで透が気分を害したのかと慌てて声をかける。
「……日月先生？　どうかしたんすか」
「あ、すみませんぼうっとしてしまって。いえ、こういう話をしていると母を思い出してしまいまして。海洋学者なんですよ」
　そう言う透は普段の仏頂面をさらに固くしている。
「仲、悪いんすか」
　神無はなんとなくばつが悪そうにそう尋ねた。
「そういう訳ではありません。ただ忙しい人でして、研究だの学会だので殆ど家にいた試しはありませんでしたね。ひと月に１日くらいは私と父の様子を見に帰って来てくれてはいましたが、やはり子供心には寂しかったですね」
「…………忙しくても家庭を顧みる良いお母さんだと思うっすけど」
「ええ、勿論。私も獣医になるまでに長い大学生活を送って来た訳ですから、研究者というものがどのようなものかも今ではそれなりに分かっています。それが仕事ともなれば、尚更ですよ。随分気遣われていたんだなあと、思います」
　そう言って透は神無へと視線を向けた。
「神無さんのご家族はどんな風なんですか」
「俺んちっすか……？」
　神無は少し言い淀む。
　数秒の間をおいて、神無は答える。
「普通っすよ。親父はクソムカつく程の意地っ張りだし、母親はのんびりしてる割には一筋縄ではいかないし、まあ面倒くさい家族っす」
　透の質問への答えを意図的にはぐらかす神無だが、透は特にそれ以上追及するでもなく曖昧に頷くだけだった。