苦節十七年という表現は、けっして大げさではなかった。少なくとも有沢 茉奈にとっては。
　七夕初詣クリスマス、願い事をする機会あるたび彼氏ほしいと、神仏サンタにエノコロ岬、祈れる対象あらゆるものに祈りまくって茉奈はついにめぐり会えたのだ。
　理想の彼氏に！
　しかもそんじょそこらのホースボーン（馬の骨）じゃない。ゲームでいうところのウルトラレアキャラみたいな逸材なのだった。
　贅沢は言いませんと口にしながら、つい贅沢を言ってしまうのが茉奈のサガ、顔がいいのは当然として、できれば背が高いほうがいいとか美的センスもあるほうがいいとか勉強だってできるほうがいいとかもち優しい性格でいてほしいとか、もりもり山盛りになった理想男子の条件を全部、軽くクリアするのが彼、閑野 カノン十九歳なのである。
　顔はいい。たまらなくいい。イケメンという言葉では言い表せないほどいい。爽やかながら愁いを帯びた瞳、ととのった鼻筋と顎のライン、きりっとした眉に色気のある口元……日本人の父親とフィリピン人の母親との間に生まれた彼は両国のいいとこ取りみたいな魅惑の容貌なのである。身長も百七十八、モデルみたいに脚が長い。
　だがカノンの最大の魅力、それは中身だと茉奈は断言したい。優しく朗らかで、思慮深いし親切だ。軽いジョークで笑わせてくれる一方で、たとえ駅の自動改札であれレディーファーストと言って譲ってくれる。外面だけではなく中身もイケメン、しかも木天蓼大芸術学部の一年生で賢いばかりか絵も上手だ。どこへ出しても恥ずかしくない完璧超人ではないか。どうしてこんな彼がこれまでフリーで捨て置かれていたのだろうか。
　もうこれはお付き合いするしかないでしょ！
　きっかけは先日のサマーバレンタイン、サプライズデートの場だった。第一印象で茉奈は心を決めていた。そして願いはかなった。
「メロメロなの～、もう毎日、NYAINで話すだけでも会ってもずっとMERO・MERO！」
　かくして日々、親友の水上 桜にのろけ倒している茉奈なのだった。なお以前カノンについて『携帯持ってないらしい』と茉奈が流した情報は茉奈によるジョークであったという。
　彼のこと話すときの茉奈って、目にハートマークが浮かんでるよね。
　桜は苦笑してしまう。失礼ながら物好きな男もいるんだと思ったが言わないでおこう。恋に恋する情熱少女、逆ナンしては玉砕の茉奈の日々は、ここにようやく大願成就にいたったといえよう。茉奈の将来の夢は港区女子で丸の内ＯＬだとは何度も聞いたが、その日も着実に近づきつつあるようだ。
　待ち合わせ場所でちらちらと腕時計を眺めつつ、茉奈はカノンの訪れを待っている。彼氏待ちというやつだ。
　困ったことに……いや、何も困らないが、茉奈の隣の桜も同様だ。
　彼氏、待ち。
　彼氏持ちにして彼氏待ち。韻を踏んでいるが洒落ているわけではない。サマーバレンタインで茉奈がカノンと出会ったように、桜も滝沢 匠と出会ったのだった。
　匠は木天蓼工業高校で同い年、水泳部というところも同じだった。自称『真面目なマタ工生』、実際、裏表のない性格で友達も多い好人物である。鍛えているので逆三角形の立派な体格をしている。
　といっても正直、初顔合わせではいまひとつピンとこなかった。それは彼も同じだっただろう。しかし偶然の再会をへて何度か会ううちに、互いにフィーリングが一致することに気がついた。ドラマティックなイベントこそなかったものの、ごく自然に桜と匠は交際に発展していったのだ。
　桜と匠は水泳部同士なので、月に何度か寝子島スポーツセンターで自主練という名目にてデートらしきものをしている。結果的に水着デートになっているが、シチュエーションがプールなので当然といえば当然だろう。茉奈みたいに「ラブラブなの～」なんて言う付き合いではないけれど、それなりにいい感じだと桜は思う。
　まだかなと茉奈が言い、まだかなと桜が応じた。本日ハロウィンナイトは茉奈念願の、Wデートとなったのである。待ち合わせの時間にはあと数分ある。
　桜と茉奈は遠目には、姉妹のように映るかもしれない。なぜってお揃いのワンピースドレスを来ているからだ。
　こんな目立つドレス、よく見つけたよ。
　我が扮装ながらつくづく思う桜である。
　ドレスを見つけたのは茉奈だった。ハロウィンキャンディの包み紙を模した仮装で、通販で安く入手したスペシャルな品だ。といっても既製品で終わりではない。ワンポイントとして桜が作ったシルバーアクセをあしらってある。カボチャ型の銀細工が夜光を浴びて照り輝いていた。スイートでキッチュな仕上がりで、コスプレだらけのシーサイドタウンでも埋没することはないだろう。
「あっ」
　先に気づいたのは茉奈だった。
「狼男！」
「狼？」
　すぐに桜も意味を理解する。
　匠が現れたのだ。狼男の仮装で。赤いジャンパーがエイティーズっぽくて面白い。
「コスプレ衣装、こんなのしかなくてさ」
　どうやら照れているらしく匠は、しきりと後頭部をかいていた。

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　いたと思ったが落合まゆらは口を閉ざした。
　まゆらがホビーショップ『クラン＝G』を訪れたとき、三佐倉 千絵は作業中だった。本日はハロウィンのせいか店はすいている。というか客はまゆらを除けばゼロだ。ファミレス跡の広大な敷地で、千絵はひとりぽつんと店番をしているのだった。といっても、
　声、かけにくいな。
　千絵の眉間には深い溝が刻まれているのだった。
　千絵はゲームの天才だがそれはいわゆるアナログゲームに限った話であり、デジタル処理になるとたちまちおじいちゃんおばあちゃんのレベルに落ちる。遠慮がちに表現するのなら不得手、率直にいえばてんで駄目になるのだ。とりわけ表計算ソフトは苦手中の苦手であり、紙の帳簿ならすらすらと終えられるものを、数倍の時間をかけてこなさねばならなくなる。
　いまも千絵はレジカウンターの前、タブレットを手になにやらうなりながらタッチ操作をしている。「ああまちがえた」「えっとこれって……」とうめき声につぐうめき声だ。
　邪魔したらたぶん、リセットになるよね。
　声をかけたいところだが気持ちをおしとどめ、まゆらは千絵が作業を終えるのを待った。
　ようやく千絵がタブレットを裏返したところで、
「トリックオアトリート！」
　呼びかけると千絵は、「ぉわ！？」と鳩が豆鉄砲を食ったようなるたとえそのままの反応をする。
「ミスティ！？」
　声がかかったことよりも、ミスティックアリアが立っていることに驚いたらしい。
「やっぱわかる？」
「わからいでか、って感じですよ。というかそれシーズン2のハロウィン回のときのコスですよね」
「さすが千絵ちゃんお目が高い」
「靖実にゃん脚本回ですから、そりゃあ忘れるはずありません。あの話はサブキャラが良くて」
「そうそう！　作画はいまいちだったけど内容で魅せたよね」
　とミスティ話を中心に小半時ばかりまゆらと千絵は言葉をかわしたが、やはり来店者はゼロのままだった。やがて、
「もう今日は早じまいします」
　千絵はシャッターを閉めに行き、まゆらとパレードに行くときめたのである。

「千絵ちゃんは仮装しないの？」
「えっと、明日はお父さんが店番なので一応、用意はありますが……」
　見せて見せてとまゆらがせがんだ甲斐あって、千絵は気恥ずかしげに衣装を替えてきたのである。
「やるな、千絵ちゃん！」
　まゆらはうなった。やはり一筋縄ではいかない。
　なぜって千絵の衣装は、『魔法少女ミスティックアリア』のレア回として名高い偽アリア登場エピソードの仮装、通称『フェイクアリア』のコスチュームだったからだ。全体的にはオリジナルを模しているが、リボンの色が違いステッキがチープだったりと、視聴者にわかりやすいようなアクセントが入っている。寝子島のみならず全日本にミスティ仮装多かれど、フェイクアリアのコスの者は他におるまい。
「クラウン装着！　エナジー全開……光よ！」
　出発宣言とばかりにまゆらは声を上げた。