こんにちは、不通の日｜リアクション

こんにちは、不通の日

　檜扇唱華の星ヶ丘方面探索は難航していた。

　星ヶ丘地区は、寝子島の他の地区に比べて、比較的野良猫の少ない場所とされている。地域密着型の商店が少ないため、野良猫の生きにくい環境なのかもしれない。代わって多いのが、星ヶ丘に住む富豪たちが飼っている、外飼いの猫。中には血統書付きの猫もいて、それはそれはたいそう品がいい。美味しいものを食べ、メイドたちに可愛がられているから、お高くとまった猫がデフォルトだ。それは性格だけでなく、物理的なポジションとしてもあらわれている。

「偉い方は高い所が好きと言いますが……」
　切れ長の目にかかる汗をぬぐいながら唱華は、星ヶ丘の中では比較的上流といえる規模の屋敷の壁をよじ登っている。テラスの屋根を伝い、ベランダに飛びつき、さらに屋根の上へ。そこには澄まし顔のマンチカンが待っていた。きょとんとしたまま、唱華をしげしげと眺めている。
「こんにちは」
　持参のネギトロ丼を見せるまでもなく、解除成功。

　しかし……。

　星ヶ丘の高級住宅街を見下ろしながら、唱華は思う。
（猫においてはより高所にいる猫が偉いとされている世界です）
　偉く気取った星ヶ丘の猫たちは、全員決まりきったように、自宅の屋根の上で、お互いの地位を争っているようだった。もしかすると飼い主にそう教え込まれているのではないかと疑いたくなるほどである。
　１匹１匹、猫に会うため屋敷を上るのは、相当にハードだ。
　目を合わせてくれない猫も、ネギトロ丼を見せればイチコロ。しかしそこまでの道のりは険しい。今も屋敷の敷地に入るために高い塀を越え、広い庭を抜けて、壁を登ってきた。
（これを繰り返すのはかなりの労力ですね。体力が持つといいのですが）
　マンチカンのくりくりした目を見つめながら、しばしの休息をする。

（あの人、なんで猫と一緒に屋根の上にいるんだろ？）
　星ヶ丘の見晴らしのいい屋敷をはしごして散歩していた、猫姿の響タルトは、疲れ顔のメイドを見つけ首を傾げた。
「やっと見つけたぜ」
　と、後ろから声。見ればこの近辺では見かけることのない、野性味あふれる猫がいた。
「にゃ〜（テオが現れたってことはやっぱり事件なんだね〜）」
「まさか猫になっているとはな。まあいい、てめえが最後だ。さっさと説明するぞ」
「ニャ〜（ところで前から聞きたかったんだけど、猫の世界にも、BLってあるのかな？）」
「知るか。いいから聞け」
　高級屋敷の屋根の上、不機嫌そうなテオがタルトに、ようやく現状を伝える。

「次はここですね」
　唱華は新しい不通猫を見つけていた。塀はないが、これまた背の高い建物だ。しかも引っかけられる足場が見当たらず、上るのは至難だろう。もちろん鍵は開いておらず、内部から上を目指すのも不可能だ。
「まずは登りやすそうな場所を探しますか」
　覚悟を決めたとき、スッと視界を何かが駆け抜けた。
「？」
　それはトントントンと、身軽なジャンプで建物を駆け上っていく。そして、屋根の上にいた猫に接触して数秒。仲良く一緒になって、唱華のところまで下りてきた。
「ニャ〜（事情は分かったよ。猫のままでは挨拶できないから、よろしくね〜）」
　しばし呆気にとられた唱華。タルトの催促するような声を聞いてハッとなる。
「こんにちは」
　普段は公道なんて歩きませんのよ。そんなお高く止まった感じの、いかにも高級猫といった風情のペルシャに挨拶する。
「ニャ〜（高いところは僕が行くから大丈夫だよ。交渉して下へ連れてくる。美味しい食べ物を持ったお姉さんがいるよ、って。交渉は任せて）」
「助かります」
　タルトの真意を汲んだ唱華は深くお辞儀をし、タッパーからネギトロ丼を出す。

　こうしてタルトと唱華のコンビによって、星ヶ丘方面の猫たちは無事、フツウの猫へと戻っていくのだった。
　この日以降、星ヶ丘の猫たちはよりグルメになり、高級なマグロしか食べなくなるのだが、それはまた別の話である。

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