女の子たちの楽し気な笑い声を耳にして、巫部 紫苑はスカートの裾を揺らして立ち止まった。すん、とかたちの良い鼻を小さく動かし、七月の空気を嗅ぐ。焼きそばやたこ焼きのソースの香ばしい匂い、綿あめの甘い匂い。炭火の上でじゅうじゅう焼けるイカや鶏肉の匂い。
(いい匂いがすると思ったら)
　参道商店街沿いに飾られた笹の葉や七夕飾りを仰ぎ、ずらりと並ぶ屋台を見遣る。緋色の瞳を柔らかな笑みに満たし、亜麻色の髪を初夏の宵の風に揺らし、紫苑は寝子島神社へと足を向ける。
(お祭りの日だったんですね)
　お祭りと言えば屋台。屋台と言えば全メニュー制覇。
　寝子島でお祭りを見つけるたびに全ての食べ物の屋台の全メニューを食べ歩いている底なし胃袋と食欲の持ち主は、今日も今日できらきらと瞳を輝かせる。どの屋台を見ても美味しそうなものばかり。どの屋台を起点にしよう、ぐるっと巡ればどれくらいたくさんの美味しいものが食べられるだろう。
(今から楽しみです♪)
　優雅な足取りでまず最初に目についたレインボー綿あめの屋台にまっすぐ向かおうとした紫苑の前、
「ちょーっと待ったあぁ！」
　黄色い羽と尾羽をぱたぱた揺らし、黄色い鳥の着ぐるみが飛び出して来た。
「はい、どうしました？」
「鳥は悲しい」
　唐突に足止めされても動じず、おっとりと微笑む紫苑に、黄色い鳥は黄色い羽で鳥頭を覆う。
「……？」
「こんな逸材が浴衣も着ずに七夕祭りに向かうなんて！　これぞ正にキャットロードにこの店あり(自称)な黄色い鳥のコスプレ屋の名折れ！」
　羽根をばたばたさせて大仰に宣った挙句、ということで、と黄色い鳥は参道商店街の片隅に停めた衣装部屋兼着替え室な黄色いバスを羽根で指し示した。
「浴衣着てみませんか綺麗なお嬢さん！　今なら七夕フェアってことで超お得に浴衣レンタル出来ます！」
「浴衣の貸し出し……そんなのもあるんですね」
「ええはい御座います御座いますです、如何ですか！」
　今にも手を取らんばかりに頷く黄色い鳥に、紫苑はのんびりと微笑んだ。そういえば、浴衣でお祭りを周ったことはなかった。
「浴衣の方がお祭をもっと楽しめそうです♪」
「ワッショイ、いらっしゃいませ！　さあさあ、今回も鳥がお嬢さんに似合う衣装を見繕って差し上げます、着付けも出来る鳥なのでそちらもどうぞお任せあれ！」
　羽根をぱたぱたさせながら、騒がしい鳥はバスの前にいくつも並べたハンガーラックに掛かる色とりどりの浴衣の選定に取り掛かる。
「立派なお胸をされているのでちょーっと着付け大変かもですが、そこは鳥の腕の見せどころ！　ってやつです！」
　鳥が選んだ浴衣に紫苑が頷き、ひとりと一羽は着替え室代わりのバスへと乗り込む。しばらくして出て来た白地に薄紫の花が踊る浴衣姿の紫苑は、ほんのちょっぴり疲れた顔。
「浴衣を着るのって大変なんですね……」
「……やっぱりすごいお胸でした……」
　バスからよろよろ出て来て地面に伏せる黄色い鳥の前、紫苑は優雅な仕草でしゃがみ込む。
「でも、素敵な浴衣でいい感じです」
　ありがとうございました、と微笑む紫苑の笑顔に、鳥は瞬時に元気を取り戻した。そうでしょうそうでしょうとってもお似合いです、と立ち上がって跳ね回る。
「お祭り、楽しんで来てくださいませ！」
　亜麻色の髪を飾る紅椿の髪飾りにちょっと触れ、紫苑は立ち上がる。肩も腿も露出していない、いつもとは違う種類の『可愛い』ではあるけれど、袂からちらりと覗く腕や凛とした襟に飾られたうなじは、これはこれで可愛い。
「行ってきます♪」
「行ってらってしゃーい！」
　羽根を振り回して紫苑を見送ったかと思えば、
「はッ！　なんてこと！」
　鳥は淡いピンクのTシャツにデニムパンツ、スニーカーという飾らぬ格好をした眼鏡少女──月原 想花を見つけるなり駆け寄った。
「おおおお嬢さんお嬢さん！」
「えっ、ぼく？」
「今日はゆかた祭りですよ浴衣如何ですか！　きっと似合う絶対似合う！」
　着ぐるみの頭が取れんばかりにこくこく頷く黄色い鳥を眼鏡越しの黒い瞳をまん丸にして眺め、想花は思わず後退る。
「いや、ぼくはただ買い物に来ただけだし」
　夕方のこの時間になると、いつもであれば商店街のとある店で訳あり品の大安売りが始まる。それを狙って猫鳴館から商店街までやってきたというのに、今日は例の店は臨時休業だった。
　肩を落として歩いていたところに、突然の黄色い鳥。
　着ぐるみとは言えいきなり話しかけられてしまえば反射的に怖じてしまう。
(こういうところも良くない、よね)
　自分の臆病さを自虐する想花に構わず、鳥は想花の周りをスキップでぐるぐる回り始める。
「浴衣どうですか浴衣！　浴衣で屋台巡りとか楽しいですよきっと！　今なら超お得レンタル、めっちゃお得むっちゃお得レンタル！」
　鳥はバスの前にずらりと並ぶ浴衣の中からいくつか選び出し、これはどうですかなんなら試着だけでもと想花の前に広げて見せる。押しに押されて引くに引けず、想花は強引に着替え室を兼ねた黄色いバスへと引きずり込まれた。
　しばらく後、
「ほらもーやっぱり！　似合う似合う超似合う！」
「いや、……あの、やっぱり、……」
　バスの中から黄色い鳥が飛びだして来た。出て来ようとしない想花を手招きしてバスの中を覗き込む。出入口のドア付近で足を止める想花の手を着ぐるみの羽根で掴んで器用に引っ張り出す。
「ぼくは外見も中身も平凡すぎて親に嫌われたくらいで、」
「なーにを仰る！　嫌だもうこんな綺麗な顔してるのに！　素顔美人、略して素美人なのに！　眼鏡掛けたら美人度五割増な知的美人なのに！　鳥は羨ましいわよキィィ！」
　黄色い羽で背中をぽすぽす叩かれ、想花はますます背中を丸める。だからぼくは、と呟いたところで、
「ほら背中伸ばして。顔を上げてください、折角の美人さんなんですから」
　思いがけず静かな声で励まされた。　
　背中をぱたぱた叩く優しい力にちょっぴり勇気を貰い、想花は顔をあげる。白地に風鈴や金魚が涼し気に踊る浴衣の袂を掲げてみれば、ふわりと流れ来た初夏の風が頬を撫でた。
　もたげた瞳に、バスの前に置かれた姿見に映り込んだ自分の姿が映る。思わず逸らそうとした顔の間近に、黄色い鳥のどこか間の抜けた顔。
「ほら、鳥が折角一生懸命着つけたんですから！　見てくださいよう」
　泣きつく勢いで迫られるまま、鏡に映る浴衣姿の自分を眺める。
　似合うとも美人だとも全然思えないけれど、
(せっかくの祭りだから)
　出来なかった買い物の代わりにお祭りを精々楽しんでみよう。
　慣れない浴衣に戸惑いながら参道商店街の屋台へ向かう想花に行ってらっしゃいと羽根を振って、
「ハァイ、少年ー！　少年少年ー！」
　黄色い鳥は次なるお客候補に声を掛ける。

　右手にふわふわ白うさぎのぬいぐるみのラピちゃん、左手にふわふわぬいぐるみ型カプセルギアのラズちゃんを大事に抱いて七夕祭りをのんびりお散歩がてら楽しみに来ていた黒髪の少年──曖浜 瑠樹は、商店街から始まっている屋台の賑わいにきらきら輝かせていた栗色の瞳を一層きらきらと輝かせた。
「わぁ、ひよこさん！」
「イエス、あなたのひよこです！」
　黄色い羽をぱたぱた、尾羽をふりふり近づいてきた黄色い鳥もといひよこはぴょんぴょんと瑠樹の周りを跳ね回る。
「久しぶりだねぇ！」
「ひな祭り以来ですねえ坊ちゃん、ということで今回は浴衣レンタルどうです？　坊ちゃんのお小遣いでもオッケーな超お得レンタルにございます！」
　スキップしながら営業する鳥に、瑠樹は大きく頷いて返す。鳥が示した黄色いバスの前のハンガーラックには、色とりどりの浴衣にレンタル代を記した看板。これくらいの値段であれば、お祭りを楽しんでおいでと両親から貰ったお小遣いでも充分に間に合う。
「可愛い柄の浴衣あるかなぁ？」
「ひよこ柄に金魚柄、なんならお持ちのぬいぐるみちゃんたち用のものもご用意いたしましょう！」
「わぁ、ほんと？」
「ほんとほんと、キャットロードにこの店あり(自称)なコスプレ屋の黄色い鳥にお任せあれ！」