【アイドルだって大変なんです】

　週刊ヤングニャンプといえば言わずもがな、多数の大人気コミックを擁する青年漫画誌の雄であります。
　なぜに映画喫茶クランク・インにて漫画雑誌のお話かと言いますと……ちょっぴり人の少ない夕方のひと時、手持ちぶさたとなったアルバイト店員エマがふと手にとったのが、マガジンラックに放り込まれていたヤンニャンであったのと、
「はーっ、今日もつかれたぁ……仕事も途切れなく入ってるっていうのに、よく大学に通えてるよねあたし」
「ふふ、理緒ちゃんがんばってるものね。ちょっとひと休みしていこう？」
　この日たまたま来店したのがなんと、まさしくヤングニャンプの表紙と巻頭グラビアを飾る、見目うるわしい少女モデルのおふたりだったからです。
「……！？　あ、あれれぇ！？」
　誌面とご本人がたとをずばばばっと忙しく見比べて、エマは大混乱。
「写真の中のモデルさんが目の前のお客さんで、あれれぇ！」
「おおっ、なんてことだ。今や押しも押されもせぬ寝子島出身グラビアアイドルのパイオニア、伝説の『大学合格しないとグラドルやめます』企画も記憶に新しい初瀬川 理緒ちゃんと、先日電撃デビューを飾ったニューカマー、清楚系グラドルの佐和崎 紗月ちゃんではないか。いらっしゃいませ、ファンです」
　キョーミなさそうに見えてぐいぐい食い付いてきた、エマの兄七海がそんなふうに言いますと、紗月はぽわんと頬を赤くします。
「ありゃりゃ。どーする紗月？　ファンだって。ばっちり知られちゃってるみたいだけど」
「どうするって……こ、困る」
　初々しい彼女の当惑顔が楽しくて、理緒はからからと笑いました。



　紗月の唐突なグラドルデビューから、ドトウのお仕事ラッシュ。先日などはタイでの海外ロケなんかもありまして、その忙しさときたら筆舌に尽くしがたく、多少は慣れている先輩グラドル理緒はまだしも、紗月はすっかりへろへろになってしまいました。理緒にしてもただでさえ苦手な勉強との両立でお疲れですから、なにしろ今のふたりに必要なのは、休息でした。
　忙しさもようやく落ち着いてきた頃、たまの休日にふらりと立ち寄ってみたのが、ここ『クランク・イン』というわけです。
「お！　今から『ニャバター』を上映だって」
「理緒ちゃん、観たことあるの？」
「んーん、初めて。でもこの映画はアタリのはず。大丈夫、あたしが言うんだから間違いないって！」
　特に根拠はないけれど、紗月も理緒の言うことなら否定はしません。
　ホール真ん中のテーブルについて、注文を済ませたところで黒いカーテンが引かれ、暗闇に包まれた部屋にプロジェクタースクリーンだけが明るく輝きはじめます。
　『ニャバター』はここ十余年で公開された映画の中でも、人びとの記憶に残る作品のひとつと言えるでしょう。かつてない規模の予算や豪華出演陣、一流スタッフが紡ぎ出す、一大ＳＦ叙事詩。圧倒的な映像体験！　緻密かつ極限のＶＦＸ表現！　とにかくすさまじい完成度を誇るその視覚効果には、誰もがド肝を抜かれたものです。話題となった３Ｄ映像を劇場で楽しんだ人も多くいたことでしょう。
　公開から１０年が経っても色褪せないその魅力を今、理緒と紗月も目の当たりにします。
「わあ。綺麗……」
「すっごい映像だねえ」
　お待たせいたしました～……とそろそろり、小声でやってきたエマが注文の品を持ってきたのにも気づかず、ふたりは映画の中に惹きこまれたまま。
　ニャバターという作品を象徴するもののひとつといえば、衛星ニャンドラに住まう先住民族たちのビジュアルでしょう。青い肌に首の長い長身、獣耳に揺れるしっぽ、全身を彩る文様……あきらかに人間とは異なる特異なフォルムにもかかわらず、観客はいつしか彼らに愛着を持ち、応援したくなりました。
「ねえ、紗月」
「うん？」
「どーする？　紗月の出会ったあたしが、青いお肌のステキなエイリアンだったら」
　冗談めかして尋ねると、紗月は真顔でしばし思案。
「……それでもやっぱり。理緒ちゃんを好きになると思う」
「紗月……」
　人は中身と言いますけれど、それを地で行くのがニャバター。異種間の超越的な愛を描いているのです。
　理緒もやっぱりきっと、紗月をまた好きになるのだろうな、と思います。彼女がどんなにキュートな宇宙人であったとしても！
　いつの間にやら届いていた注文の品、理緒は濃厚でクリーミーなチーズケーキ、紗月はしっとりふわふわのマフィンケーキをほおばりながら、映画の続きを楽しみます。
「この大佐はすごい人よね。ガスマスクも無しで飛び出してって撃ちまくるのは、ちょっとやりすぎ感あるけど」
「ふふ、そうかも」
　理緒が事あるごとに声をひそめてツッコミを入れるので、紗月には映像と相まって二重の楽しさがあったりします。
　ニャバターは娯楽映画でありながら、根底にはちょっぴり考えさせられるようなテーマを内包していることもあって、鑑賞中にもふたりの話題は尽きません。今まさに見ている映像について感想を述べられるのは、そのへんがゆる～い映画喫茶ならではの楽しみ方と言えましょう。
「うお～、ついに決戦！　勝つのはどっち……！？」
「わくわくだね、理緒ちゃん」
「うん！」
　はたして理緒はスクリーンに集中しつつ、興奮のあまりか紗月の手をぎゅっと握り締めていることに気づいているでしょうか？　映画とともに、逐一ハラハラとしている恋人の横顔を見つめるのもまたオツなもの。紗月の頬も自然、ゆるみました。



「やーっ、面白かった！」
　うーんっと理緒が伸びをしたところで、ホールには明るさが戻ります。光はオレンジを帯びていて、窓の外がすっかり夕暮れに包まれていることに気づきました。
「どうする？　もう出る？」
「ん、もうちょっとゆっくりしてたいかな……コーヒーのおかわりもほしいかも」
「おっけー、じゃそうしよっか」
　映画の上映時間にはいくらかの間があり、次の作品が始まるまで、ふたりはしばしくつろぐことにしました。
　コーヒーのおかわりをもらったら、他愛のないおしゃべりに花を咲かせます。
　タイでのロケで、象の背中に乗ったら水浴びでぐしょぐしょに濡れてしまったこと。
　もう少しで中間テストが始まってしまうこと（理緒には難関イベント！）。
　理緒の暮らす部屋にまつわる怪談話……まあこれは紗月を驚かせるための作り話でしたけれど。
「あの話なんて、映画の脚本になりそうじゃない？　あたし、売り込んでみようかな」
「もう、本当に怖かったんだからね、あれ」
　ぷうっとふくらんだ紗月の頬を、理緒はぷにぷに。恋人のそんな顔も愛おしく思います。
「あ、あのーっ。おひやをお持ちしました！」
「あら、ありがと」
　各テーブルにお水を補充する……と見せかけて、なんとか芸能人とお近づきになりたいエマ。ややゴーインに乱入です。ちなみに、おふたりが恋人同士であることには気づいていない模様。
「楽しそうですわねー、なんのお話をされてたんです？」
「んー、ちょっと思い出話をね。あ、そーだ！」
　人なつこそうな店員さんに、理緒も親しみを感じたのか、するりと取り出したのはスマートフォン。画面をエマに掲げてみせて、
「じゃじゃーん！　紗月のグラドルデビュー第２弾～♪　見たい？　特別に見せちゃう」


「おおーっ！？　こっこここれは、ケンコー的なおいろけでたいそうまぶしく、サワヤカでダイタン素敵な……」
「ちょっちょっと理緒ちゃん、どうして見せちゃうの……！？」
「あたしの紗月を自慢したくってね。いいじゃない、どうせそのうちヤンニャンに乗るんだし」
「ていうかさすがにぐらびやあいどるさんはスタイルよろしいですわね～。むむム」
　件のタイで、同行したカメラマンが撮ってくれた中でもいちばんのお気に入り。紗月の朱色に染まったはにかみが、理緒の天真爛漫な笑顔が、たがいにとってのベストショットです。
「……もうっ。理緒ちゃんたら」
「ふふふ」
　不敵ながらに飾らない理緒の笑みも、ツンととがらせた紗月の唇もいとおしく。どんな映画のヒロインより、今日もふたりは、ふたりの虜。