【素直になれなくて】

　霊界ヨイとこ一度はおいで……と、言ったかどうだか知らないけれど。片夏 阿呂江はまだまだ寝子島を認めてはおりません。認めておりませんとも！
「おう、そこ行くお嬢ちゃん、かわいいねえ！　そら、たい焼きひとつ、食ってきな！」
「おおっよいのか？　感謝するぞい。店主よ、おぬし良い男っぷりじゃのう」
　認めておりませんってば。
　いかにも寝子島的なゆるいノリというか、昔ながらの商売人特有のリップサービスを兼ねたしたたかな宣伝活動の一環というか、そんなこんなでゲットしたほかほかたい焼きをはむっと頬張りつつ、阿呂江はシーサイドタウンをにこやかに歩きます。
　ものごっつう満喫しているように見えるでしょうけれど、決してそうではありません。持ち前の変化の術にさらなる磨きをかけるべく、観察対象としての寝子島を体験しているだけなのです。
「ふふふ、もうけたのう。あむっ。おお、この皮のもっちり感に、あんこの上品でしつこくない甘さときたら……」
　人間の作る食べ物やらお菓子に魅了されているわけではありませんのですってば。
　お察しのとおり、阿呂江は霊界からやってきたあやかしです。あちらでは化け狐の住まう小さな集落、その長の娘。わりかし箱入りだったりします。幼いころからチヤホヤされてきたためか、すっかり高飛車な性格に育ってしまいました。
「さて、今日はどこへ行こうかのう？　先日読んだ人間作のマンガは実におもしろ、いやその、まあまあであったからの。まあまあ……おっ！？　あれはなんじゃろ、行ってみよ♪」
　といってこの高飛車になりきれないあたりが、道行くひとにオヤツもらったり、愛されキャラのゆえんかもしれませんけれど。
「ほっほう。シネマカフェ、とな？」
　めざとく見つけたクランク・イン。
　映画！　そう、人間が生み出した娯楽文化、その最たるもののひとつでありましょう。寝子島ツウ、人間ツウの阿呂江が食いつかないはずもありません。
「い、いや別にツウとかじゃないけどの！　あくまで、ほんのちょびっとだけキョーミがあるだけ、それだけなんじゃからな！」
　なんて、いったい誰に言い訳してるやら。
　ひとしきりそうしてぱたぱたとやってから、はふうとひとつ気を落ち着けて、阿呂江はお店の扉を開きました。



　映画の鑑賞には個室を借りることにしました。
　熱中するあまり、うっかり変化が解けて狐耳やらしっぽやらが飛び出さないとは限らな、いえいえ化け狐の里一番の術の使い手たる阿呂江にそんな失敗などけっしてありませんけれど、念のためです。念のため。
　それに阿呂江は興奮すると、周りの目もはばからずちょっと騒ぎすぎてしまうところもありました。
「ふむ。あの娘が選んでくれたもので、面白そうなのは……」
　シネマカフェの作品ラインナップが多すぎるもので、アルバイト店員にいくつか希望を伝えて選んでもらうと、なかなか興味深い作品が集まりました。
「最近の作品で、あまり複雑でなく、人間の映像技術というものを知ることができるような……よし、これにしようかの」
　選んだのは、『ベイニャックス』！　もちもちぷにぷにな猫耳ロボット、ベイニャックスと兄をなくした少年タローの心あたたまる交流を描く、ＣＧアニメーション作品です。
「おおっ。ＣＧの進歩はすごいもんじゃのう」
　映画が始まるなり、ほうっと感嘆の息がもれました。３Ｄで描かれた架空都市の緻密さ、リアリティとデフォルメの境界をなぞる表現手法には思わず目を見張ります。キャラクターも活き活きとして、今にも画面から飛び出してきそうなくらいです。とりわけ主役のベイニャックスの、この弾力いっぱいな質感表現ときたら！
「……儂も抱き着いて、ぽよよんぽよんとやってみたいもんじゃのー」
　と、人間界の映画の技術レベルをはかる、なんてタテマエを保っていたのは最初だけ。
　ベイニャックスはヒーロー映画としての側面もありまして、主人公のタローがベイニャックスにお手製のアーマーを着せ、縦横無尽に空を跳び回り悪を追う展開になると、
「うおーっ、そこじゃあベイニャックス！　いけーっ！」
「立てぇ、立つんじゃタロォー！　そんなことじゃあ兄に顔向けできんぞ！」
「ぬおお強敵出現！　街の平和のために、ゆけいベイニャックス！」
「な、なぜじゃベイニャックスぅ……なぜ己の身を犠牲にしてまで……あくまでタカシの意思を継ぎ、弟のタローを守ろうというのかベイニャックスぅぅぅーーー！！」
　大はしゃぎの大騒ぎでありました！　絶対もー満喫してるよね、人間界。



「ううう、まさかマイクロチップが残っていて、破壊されたベイニャックスが復活するとは。良かったのう……」
　号泣の証に目元を赤くしながら個室を出ると、待ってましたといった様子で、先ほどの店員さんがぱたぱたとやってきました。金髪に青い目の少女は、胸のプレートによればエマというそうです。
「いかがでしたかー、ベイニャックス？　よかったですか？　サイコーでしたわよね？」
「おお、サイコーじゃったぞ！　タローとベイニャックスの友情、ヴィランとのアツいバトルに、奇跡の大復活……いやぁ、人間の作る作品もなかなか、いやちょっとだけ良いと思ったぞ。ちょっとだけな！」
「でしょでしょー、わたしも大好きなのですわーベイニャックス！　うん？　人間の？」
　店員さんが首をかしげた頃にはもう、阿呂江はすでにお会計を済ませ、良い気分で街を歩いておりました。
「はーっ堪能、堪能。マンガも良かったが、映画も最高じゃな。人間世界の作品も良いもんじゃ」
　人が作ったフィクションの世界に、虚構の世界に、こんなにも感情を揺さぶられるなんて。まるで……そう、化かされたような気分。
　人を化かすのが狐なら、そんな狐を化かす人の術とは、いかばかりでしょうか。
「なんつって、な。ふふふん……少しは認めてやらんこともないがのう、ほんの少し、な！」
　そんな映画たちがたくさん詰まった宝石箱のような、シネマカフェ『クランク・イン』。気が向いたらまた、来てやらんこともないけどの！
　なんて、すっかり良い気分。阿呂江はステップふみふみ、シーサイドタウンの雑踏へまぎれてゆきました。