寝子高七不思議シリーズ：北校舎の魔鏡｜リアクション

寝子高七不思議シリーズ：北校舎の魔鏡

【鏡夜疾駆】

　左。右。左。右。全てが逆を向いて突き進む世界。
　鏡の中で、外から来た者が己を貫くのは実に難しいことです。身体的困難にあえぎ、恐怖におののきながら、反転した世界で自己を保ち続けなければならないのです。
　だというのに……朝鳥さゆるとMaliceの何者もはばからないこの自由奔放は、どうしたことでしょう。
　二人には確かに、精神的共通点がありました。物事の些事に流されず、自分の芯を外さないこと。外すことができないとも言えます。現代を生きるにあたってはある意味で、彼女らはあまりにも純粋に過ぎました。不器用で、孤高でもありました。だからこそ鏡の中にあっても、彼女らはそれぞれに異質でありながら、己のままに在ることができたのかもしれません。
　さゆるはMaliceの首に手をかけながら、頭の片隅に浮かぶそんな思考を自分自身が一笑に付すのを、どこか俯瞰的に見つめていました。
「るゆさ　？ねのいたし殺を私」
　手のひらの下ですべやかな手触りを返す、Maliceの首元。白く、細く、鏡の中にあっても夜闇にいっそうきらめく陶磁めいた肌。さゆるは何度も流され、溺れました。
「るゆさ、ねようそ。わいなしやレバ。いなしに気もにな、も誰、もてっこ起がにならなここ。にか確、ねうそ。るか分かるてえ考を何がたなあ」
　挑発的な唇を、唇でふさぎたい衝動にかられます。いつもは向こうからそうされるばかりなのに。
　蛇のように細めた瞳を覗くうち、なぜだか葉利沢倫理子の頼りなげに泳ぐ双眸を思い出しました。彼女はどこへ行ったのだろう。もうずっと顔を覗かせていない。内側から泡のごとく浮かんできたもう一人の自分に抗しきれなかったのは想像に難くなく、であればやはり、とうにその存在さえ抹消されてしまったのか。
　今この瞬間、さゆるがそうしようとしているように、Maliceもまた実行に移したのでしょうか。だとしたらMaliceは、ひとかたでも躊躇したのでしょうか。それとも塵ほどに迷うこともなく、あっさりと手を下したのでしょうか。
「らかるいて似、はたなあと私　？うょしでるか分。るてえ考をとこじ同、も私」
　ちろりと唇に覗く舌の赤さに、さゆるは下腹部へ不快な疼きを覚えずにいられません。
「レア。ねよわたっか良」
「にな……」
「？もかたっか良……ふふ、りよるすでりたふとたなあ。てめ初直正、はのたれ乱になんあ。ね、で人三」
　さゆるを挑発する弾むような声色に反して、Maliceの内面が黒く、どす黒く染まってゆくのがさゆるにも分かりました。
「いなさ許を女のあ……いなさ許、は私。るゆさ、うょしでるか分。るゆさ……るゆさ」
　Maliceは、自分に屈辱を与える何者をも許容しないのです。それが彼女の存在する根源たる所以であったから。倫理子の助けを求める声に呼応して生まれたのがMaliceであったから、その助力がいかなる手段で行使されるものであったとしても。
「……んゅじ……」
「……なせ許を女のあは私。よついあ。よんゅじ、んゅじ木姫。んゅじ。れそ、うそ」
　瞬間、生まれた衝動に、さゆるは抗うことができませんでした。一片の手心なく細い首に手が指が絡みつき、これ以上彼女を犯すひとつの言葉さえ喉から絞り出させてなるものかと、砕き折るつもりで、渾身の力を。Maliceの瞳孔はぐるりと上を向き、止め処なく紅潮してゆく頬の、その美しさときたら。

「若い子がぁ……夜中にぃ、出歩いて……」
　以下の羅列は果たして意味のあるワードであったのか、聞き取ることはできませんでしたけれど。
　ともかくさゆるの思惑は中断され、Maliceはむせ返りながらも、取り囲む人影を高慢に嘲笑します。
「？らしかたしとっほ、もとれそ。るゆさ、ね念残、念残……ふ、ふ」
「いさるう」
　喉奥からあふれた血の塊をひとつ吐き捨て、Maliceはもはや事も無かったかのように、血走った目の暴徒たちを静かに見据えました。

「るゆさ。ね争競」
「がにな」
「ねよ負勝ういうそ。か先がのす殺を私がるゆさ、か先がのく着に家の女のあが私」
　無遠慮に歩み寄る理性の反転して振り切れた男の頬を張り倒し、一撃で昏倒させると、さゆるは吐き捨てます。
「いならだく」
「♪っふふ。れそ、ねよ味意てっ、ecilaMわたっか分」
　荒事にも、鏡の中のあれこれにも、ふたりは眉ひとつ動かさず、我を貫くのみ。どこであっても変わらない……変われないのです。
　ふたりは赤くしぶきを上げながら、鏡の夜を疾走します。

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