●四日目：自由行動日・その３


「バンコクから日帰りで行ける、動物好きの方なら一日楽しめる穴場スポット」

　サムットプラカーンクロコダイルファーム＆ズーは、そんなキャッチコピーとともに、ガイドブックのまるまる見開きを使って紹介されていた。
　『動物好きな方なら一日楽しめる』――生物部員の神野 美野梨がそのキャッチコピーに惹かれないはずがない。深泥色した沼の中に群れるワニ。密集した牙を見せつけるように口を大きく開けたワニ。どの写真もそそるではないか。
「せっかくタイに来たのでゾウだけじゃなくいろんな動物を見たいわね」
　美野梨はさっそく友人たちに一緒に行こうと声をかけたのだが、女子からは「ワニはちょっと……」と言われてしまった。しゅんとしたのも束の間、ねこみゅ（猫さん大好きコミュニティ）仲間の万条 幸次が、予定は未定というではないか。これ幸いと美野梨は身を乗り出した。
「万条くん！　行きましょう、ワニ園へ！」
「へ？　ワニ園？」
　幸次は聞いた瞬間はきょとんとしたが、特に目的もなくふらふらするより良さそうだね、と快諾した。

　バスに乗ってクロコダイルファームへ。
「高いツアー代を払わなくても３００バーツでワニが見られるなんてありがたいわね。色々な種類のワニだけじゃなくて、トラ、ライオン、サイ、象、鳥類や蛇もいるそうよ」
　入園料も園内情報もすべて把握して、事細かに教えてくれる美野梨に幸次は尊敬の眼差しを向ける。
「神野さん、ガイドさんみたいだ」
「そんな……ガイドブックの受け売りよ。ワニのショーは１時間おきですって。時間があるから先に園内を見てみましょうか」
　まず向かったのは、子どものクロコダイルのエリア。保育器に並べられた卵があったり、小さなプールに小さなワニが沢山いる。おもちゃみたいで可愛らしいワニだ。普段は落ち着いた雰囲気の美野梨が、目を輝かせて小ワニを激写している。
　続いて向かった水場には『世界一の大きさ』と銘打たれたクロコダイルが重なり合うように群れていた。
「このワニ園で掛け合わせた新種のワニなのね」
　珍しさも手伝ってこちらも激写だ。
　
　そうして園内を見て回っていると、不思議な音楽が流れてきた。ショーの開始を告げる合図のようだ。
　お客さんが集まるほうへ歩を向けると、アイスショーの会場ににた、階段状の客席があった。スケートリンクにあたるところが陸地と水辺からなるワニプールになっている。
　まもなく真っ赤な衣装の男性がふたり現れて、おもむろに水中にいたワニの尻尾を掴んで陸地のステージに引きずり出した。
　まず大きく開いたワニの口に手を入れて静止。
　ワニの口がいつ閉じられるか分からないスリルに客席は静まり返って息をのむ。
　タイ語だろうか、カウントダウンをして手を抜いた瞬間にワニの口ががぶりと閉まる。
「ひゃー！　ギリギリセーフ！」
「ドキドキして写真を撮り忘れてしまったわ」
　キャストの男性の言葉はタイ語だが、そのインパクトは言語を超えている。
「わっ、今度はあの人ワニの口に頭入れてるよ……バクっといかれないのかな……」
「餌は十分もらっているでしょうけど、何かのはずみで口を閉じる可能性はあるから危険はあるわね。無事を祈るわ」
　これはショーだ。コミカルな動きが示すように、訓練したうえで毎日やっていることだから大丈夫なはずだ。だけれども、さっきのワニが口を閉じる勢いを思い出すと、万が一のことを思ってひやひやしてしまう。
　もちろんそれは杞憂で、40分に渡るショーは拍手喝采で幕を閉じた。
　幸次はほかのお客さん同様、大きな拍手とおひねりをワニとお兄さんたちに送る。
「言葉はわからないけど、楽しめるものなんだね」

　お次はワニの餌やり体験。
　餌は鶏肉だが、もはや肉塊というレベルの代物である。
「これをワニのプールへそっと下ろして……見てる見てる……ひぇっ食いついた！」
　びくっと肩を震わせる幸次。ワニの食事シーンなんてレアすぎると興味津々激写する美野梨。
　鶏肉に食らい付いたワニは、それをあっさりと持って行ったが、今度は引きちぎった餌をワニ同士で取り合っている。激しく水しぶきを上げる様は大迫力で、日本が誇る大怪獣活劇の初期モノクロ作品で放射能を吐く大怪獣ゴアラと巨大なカピバラ型怪獣との激闘を描いた『ゴアラ対カピバラス』のようだ。

「象やトラもいるわね」　
　ワニ園だけではなく動物園も兼ねている園内は本当に広い。
「こっちはトラと記念撮影かー。こんなに近くまで寄れるの日本じゃ出来ないね」
「トラは怖くないの？」

「うん、全然平気。星幽塔だといつもパートナーのライオンに噛まれてるからさぁ。
　大型のネコ科動物にはもう慣れたって言うのかな？」

「ライオンのブロゥね。仲良しなのよね」
　『ライオンに噛まれている』というパワーワードに美野梨は全く動じずシャッターを切る。
　さすがの幸次も、ここでトラに噛まれはしなかったが、かなり密着した写真が撮れた。
「ろっこんで話しかけてみようか……こんにちは、じゃなくてタイ語は……サワディー？」
　幸次のろっこん＜猫チェンジ＞の進化能力は『ネコ科の動物と会話が出来る』というものだ。
　トラもネコ科だからどうかと思ったら、見事に通じた。
『こんにちは、異国の者たち。チップはスタッフに頼む』
「けっこうビシネス上手なトラだったー！」
「私にもなんて言ったかわかったわ。日本語じゃなくても通じるのね。タイ語は挨拶くらいしか分からないからどうかしらと思っていたけれど大丈夫なのね」
　美野梨も猫科の生物と念話できるろっこん＜友との語らい＞を発動させていた。
　トラは仕事中だと言ってあまり話してはくれなかったが、お互いに似たろっこんを持っていることを知った幸次と美野梨は、ねこみゅ仲間としての絆がさらに深まったのを感じた。

「万条くんも猫と話せるのね。仲間がいて良かったわ」

　一通り見終えると、園内にあるワニ肉料理レストランに入って昼食にした。焼きワニ、ワニバーガー、ワニステーキといったワニメニューが並んでいる。
　食したのはワニステーキ。鶏肉に似た味と聞いていたが、それよりはすこし歯ごたえがあるだろうか。
　美野梨はお土産にワニのスープを買った。
「今日は付き合ってくれてありがとう万条くん」
「こちらこそ、誘ってくれてありがとう。とっても楽しかったよ」