６月の雨の中｜リアクション

６月の雨の中

　星ヶ丘。息子の所有する屋敷で余生を過ごすマダム千代子の下に、旧市街の薬局「アネモネ」から、客人が訪れていた。
　アネモネを経営する夫婦の一人娘、毒島林檎だ。
　彼女のろっこん【オモルの腕】は病気治療が出来るが、重篤な病に冒されたマダムの命は、懸命に手を伸ばしても、今の林檎では届かない。
　けれども諦めない。
（……大好きだったお祖父ちゃんと、同じ癌で苦しんでいる人が居るなら、助けたいんだ……絶対！）

　悲壮な決意と共に、部屋の入り口をノックした林檎を迎え入れ、病床の老婦人が身を起こした。
「まあ、林檎ちゃん。お待ちしていたわ」
　看護師・拝島薫に付き添われ、やって来た林檎にマダムは目を細める。
　テーブルには食べるのが大好きな林檎のために、たくさんのお菓子が並んでいた。本当に歓迎されているのが分かる。
「お邪魔します、具合は……？　少しは良くなってるといいな」
　普通に喋る声の後に続く小さな声は、林檎のデリケートな本心。
「ありがとう。林檎ちゃんが“おまじない”をしてくれたお陰で、調子がいいのよ」
　そう言ってマダムは、おおらかに笑う。
　でもその顔には相変わらず、生気がなくて。彼女は無理に笑ってくれているのだと、林檎は感じた。
　林檎はろっこんを発動させるのに、治療対象にアイアンクローをする必要がある。痛みを伴う治療は、相手の拒絶や誤解を受けるケースもあった。
　林檎にとって救いは、マダムが治療を拒否しない事だ。とても痛いに違いないのに。
「それなら、良いんだが　私に、もっと力があれば……」
　開いた拳を握り締め、林檎は薫に目配せした。薫は頷くと、世話係の女性を部屋から出す。

「よろしくお願いします、先生」
　僅かに茶目っ気を含んだ言葉の後、マダムが目を閉じる。
「任せてくれ　マダムが本当に笑えるように、頑張るよ！」
　林檎が気を引き締め、魂を籠めた林檎と病との闘いが、再び始まる。

　治療が終わり、林檎は用意されたお菓子を幸せそうに頬張る。限界まで使い果たした気力と体力を埋めるように、この時ばかりは年頃の少女の素顔を覗かせる林檎に、薫が紅茶を淹れる。
　マダムは疲れて、もう眠っていた。
「お疲れ様。林檎ちゃんは、本当に優しいね」
　静かな薫の声に、林檎が咽た。
「そ、そんな事………別に俺が好きでやってる事だ……　皆を助けたいんだもん！」
　マカロンを紅茶で流し込み、林檎は俯いた。
「……本当は、あの鬼畜外道も治療したいが……精神だと俺の手には負えない……　本当に……私は無力だね……」
「平等、か。医療従事者としては、それが理想だよね」
　誰にとも無く呟く薫に、林檎は問う。
「そう言えば、犬飼は来てないのか？　……彼の怪我も治したいんだが　経過が心配だよ」
「未央くんだったら、お昼前にうちの医院に来たよ。傷はもう、だいぶいいけど。あの子、自転車だから降られてないといいけど」
　バルコニーの窓硝子を叩き始めた雨に目を向けた薫に、林檎は未央の携帯の連絡先を教えてくれるよう頼んだ。

このページにイラストを設定する