【お花見】花の盛りの寝子島で｜リアクション

【お花見】花の盛りの寝子島で

　手を振る人々の姿が遠くなる。
　碧い湖に伸びた銀色の月の光の道の上を、幾千の桜の花びらと共に小さな舟が滑って行く。
「楽しかったね、まう」
「うん」
　小舟から眺めやるのは、月の光に浮かび上がる白猫──にも見える、白いお城。
　お城が白猫だったりやっぱりお城だったりする不思議な空間であるためか、周りにひとがたくさんいても、まうまうは消えなかった。賑やかな場所で、ふたりでお花見をすることが出来た。
「……楽しかったね、まうまう」
　同じ姿かたちをしたふたりは、同じ景色を眺めながら笑いあう。
「来年もお花見、楽しもうね」
「ね。まう」
　満開の桜と支え合うようにして佇むお城の天辺には、大きな白猫がいっぴき。
　月を仰ぎ、にゃおんと鳴いた『猫又さん』は、重さを感じさせぬ動きで屋根から飛んだ。ふわり、風と桜の花びらを纏って月の高さまで駆け上がる。
　別の舟で眠り猫城から去ろうとしていた寝子島の人々がそれぞれに声を上げた。
「わぁ……！」
　滑るように湖上を渡る舟の上、瑠樹も歓声を上げる。『猫又さん』が何者なのかは結局わからなかったけれど、どうやらワルモノではなさそうだ。だってお城のひとたちも、最後にはとても楽しそうに『猫又さん』に抱き着いたりしていた。
(家に帰ったら土産話を沢山するからねぇ)
　お城のひとに貰った金色の桜の花びらを両手でそっと包みこむ。この島の不思議を知らないお父さんやお母さんにはさすがに話せないけれど、自分の部屋で帰りを待っているお気に入りのリコーダー入れやぬいぐるみさんたちに、今日のことを話して聞かせてあげよう。
　けれど、その前に。
「眠りにゃんこのお城の皆、今年もありがとうなぁー！」
　舟の上からお城を眺め、瑠樹は手を振る。　
「それじゃ、また……！」
　眠り猫城を、月に昇ってゆく『猫又さん』をＮｙａｐｈｏｎｅのカメラアプリで撮影し、夏朝は祈るように口にした。
(眠り猫城の皆との二度目のお花見、嬉しかったよ……)
　また会いたいと願いを込めてそっと手を振る夏朝の隣で、夏夜もデジカメのレンズをお城へと向ける。
「……またね、眠り猫城」
　デジカメを揃えた膝に乗せ、夏夜は遠ざかる桜と城の景色を瞳に映す。もしも次があるのなら、
(……次も、来るからね)
　真っすぐなまなざしを湖上のお城へと向ける愛娘たちを見つめ、遠くなる眠り猫城を見つめ、理沙は小さな息を吐いた。
「猫ちゃんなお城が……八夜城が、行っちゃうわね～」
　久隆と自分の間にちょこんと座った冬夜がぎゅっと腰に抱き着いてくる。優しく頭を撫でてやりながら、理沙は願った。また会えるなら、会いましょう。
(来年も、……来年でなくても、もっと早くてもいいの)
　理沙の次には久隆の胴に、そうして前に座った姉ふたりの背中に、順番に抱き着いてから、冬夜は家族のみんなに向けて小さな掌を振る。またね、と笑って花吹雪の中に姿を消す。
「ああ、行ってしまうな」
　理沙の手を握り、久隆は眠り猫城へと寂しい視線を向ける。
「……行ってしまったな」
　幻の城も、もうひとりの小さな家族も。
　胸をしんと冷やす淋しさを宥めるように、久隆は努めて笑ってみせた。
「気紛れな猫のように」
　この淋しさはきっと、楽しい時間があったからこそなのだろうと信じて、久隆は娘たちにひとつ頼みごとをする。
「あの城がまた現れたなら連絡を」
　来年になろうと、今年中であろうと、再び彼等に会いたかった。
　微かに、予感に似たものがあった。
　それはたとえば、城周辺だけを覆った夜に因するものかも知れず。住人や姫の見せた表情であったかも知れず。
　己の内に兆した予感は今は胸にしまい込み、久隆は青い湖に桜と共に佇む古城を見晴るかす。
(送り出す時が来るなら、その時は……)