【お花見】花の盛りの寝子島で｜リアクション

【お花見】花の盛りの寝子島で

　仰いだ空を覆い尽くして、春の色。
　鮮やかな青空の色や眩しい春陽の色をどれだけ透かしても薄紅の褪せない満開の桜に、倉前七瀬は薄墨の髪の下の翠の瞳を僅かに細めた。
(お花見ですー)
　鞄には桜花寮近くの古本屋で目につくままに選んで買った本が数冊、片手に提げた袋にはコンビニでこちらも適当に選んで買ってきたサンドイッチとお茶。思い立ったままに花見に出て、春風に吹かれるままに桜に彩られた町を歩いて、
(ここにしましょう)
　見つけたのは、桜に埋もれた小さな公園。
　ふうわりとした薄紅に囲まれたベンチに今日の居場所を定め、腰を下ろす。早速鞄を開いて本を取り出そうとしたところで、
(そうでした)
　一応の主目的を思い出した。翠の瞳を瞬かせる。周囲に、頭上に、爛漫に咲き乱れる桜を見遣る。春のおひさまの光を纏ってひらひら揺れる桜の花をしばらく眺めれば、
(うん、よし)
　元より高かった読書欲がますます湧いてきた。
　鞄から取り出した本を脇に置き、一番上にあったものを手に取る。目に飛び込んで来たのは表紙に描かれた桜の大木。一冊目も二冊目も三冊目も、今日買ってきた本のどれもが桜にちなんだ題材のもの。
(普通は花より団子なんでしょうけれど)
　題字の中にある『桜』の文字に触れる。
(僕は花より活字なんかもしれんですね)
　表紙は、活字の海の水面だ。開いた途端、心のぜんぶが絢爛たる海の真ん中に放り出される。
　活字の列が波となる。一行追うごとに、一頁めくるごとに、文字の海に沈んでゆく。現実の桜などひとひらも瞳に入らなくなる。活字の海に漂う桜をひたすら追うことに没頭する。
　一冊めの最後の頁には満開の桜。
　二冊めの最後の頁には水面を渡る花筏。
　三冊めの半ば、黄昏に浮かび上がる妖艶な薄紅に惹かれて頁をめくったところで、──ふいに、桜の雨が降り注いだ。
　気まぐれに散った桜に文字を隠され、文字の海から現実へと強引に引き上げられ、七瀬は思い出したように小さな息を吐く。
　文字を埋める花びらに触れる。払おうとしたひとひらは、思いがけずふうわりと温かかった。
(ああ、)
　本の頁も、本を乗せた膝も、動かすことを忘れていた肩も、そのすべてに知らぬ間にひらひらと積もっていた桜の花も、春のぬくもりを帯びていて、だから気が付いた。
(今日はこんなに暖かい日やったとですね)
　柔らかく降る春の日差しを見上げ、眩しさに瞳を細める。ついでにぐうっと伸びをすれば、気持ちの良い欠伸が零れた。
「……んん……」
　涙の滲んだ瞼を擦る。文字の海から上がった途端、眠たくなってきた。
　読みかけの頁を隠す花びらを優しく払いのける。続きを読みたい。まだまだ活字の海に潜っていたい。そう思うのに、ふわふわと額や瞼を撫でる春の日差しがとても温かくて優しくて、
(……んん)
　文字を追いかけようとしていた瞳は、いつか瞼に覆われた。
(ああ、でも、……)
　今日は、瞼の裏側の闇も薄紅の花の色を帯びている。

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