庵流、伊織源一｜リアクション

庵流、伊織源一

　緋色というよりは限りなく白に近い。
　風に煽られて花弁が踊る。膝に肩に、あるいは頭に降り積もる。
　祖父と孫は、並んで桜の下に座っている。
「いい咲きっぷりだよなあ、おい。これが風流ってやつか」
　普段の自分からすれば酔狂なくらいの言葉が、自然に紘之助の口をついていた。
　源一は重々しくうなずいた。
　立ち合いを考えて逸る気持ちがないわけではない。
　されどその一方で、祖父と過ごすこのひとときを心地よくも思っていた。
「このあとのことがなけりゃあ、一杯やりたいところだ」
　紘之助は目を閉じた。この感情を自分のなかで、ゆっくりと反芻するかのように。
　何十秒か、それとも何分か。沈黙の時間が流れた。
　ややあって、
「お前ェはな」
　と一言声に出したところで、珍しく紘之助は二の句に詰まる。
　空咳するように喉を鳴らしてようやく続けた。
「危なっかしいトコがあるよな」
　目線は中空だ。桜の花びらを見ているようで、見てはいない。
　俺に言われたかねェだろうが――紘之助はそこから先を口にしなかった。心の中にとどめおく。
　これが俺の最後の心残りなんだ。
　源一は優しいやつだ。こいつは誰かの命が助かるならば迷うことなく体を張るだろう。
　だからこそ言っておきたかった。
「だが、お前を心配をしてるやつのことも忘れんなってこった」
　源一を見る。孫は目を閉じていた。
　――わかったんだかわかってねぇんだか。
　しかし少なくとも伝わったはずだ。
　意味はてめぇで考えりゃいいだろう。頭はいいんだからよ。
　俺の孫、なんだからよ。

「さて――」
　間もなく紘之助老人は立ち上がった。
　これ以上言うべきことはない。あとは、愛しい孫の全力を全力で迎え撃ってやるだけだ。
「ああ」
　源一もすくと立つ。
　鳥の鳴き声を聞いたような気がして源一は空を見上げた。
　林の向こうの太陽はすでに赤く、舞う花びらを朱に染めて火の粉のように見せている。
　肉が熱を帯びる。細胞が締まるのがわかる。
　すでに源一は仕上がっている。心にも火が灯り、全身に力が漲っている。
　迷いはない。何一つとて。
　木刀を手にすると、源一はまっすぐに歩み続けた。途中で下駄を捨て、素足で林の中央に立つ。
　相対する紘之助も同様の姿だ。茂るは、踝（くるぶし）あたりまで生えた背の低い草だけ。
　源一の眼差しが向かう相手は、祖父であり師匠であり、現在はそれ以上の存在、乗り越えるべき壁――伊織紘之助という一人の武術家である。
「庵流、伊織源一」
　名乗る。己を確かめるかのように。
　この立ち合いがどのような結果であろうとも、俺は一生この瞬間を忘れないだろう。
　俺の十八年のすべてをここで出し切る。
　夕餉の時間までには終わるだろう、と紘之助は思った。どんな結末となったとしてもだ。
　紘之助の表情に笑みはない。
　無論のこと憎しみもない。
　あるのはただ、簡単には負けねェぞという気概のみ。
「――同じく庵流、伊織紘之助」

　先に踏み出したのは、源一だった。