さくら、たちばな、ももの花。～ひなまつり in ねこじま～｜リアクション

さくら、たちばな、ももの花。～ひなまつり in ねこじま～

「ちゆ！　ちゆ、こっち！」
　桃の花の造花を片手、願いごとを書き込んだ人型の紙を片手、こども用お雛さまの衣装の裾を春風に揺らして、こんが山道を駆けてゆく。春に色づく九夜山を登り、一路向かうは猫又川。
「智瑜さんは何を書かはりましたか」
　おひな行列用の衣装を纏っていてもしっかりとした足取りで坂道を歩きつつ、夕が楽し気に瞳を細める。
　流し雛を行うために九夜山山腹の猫又川をそれぞれに目指す人々の中には、同じようにおひな行列の衣装を纏ったままのひとも多い。色鮮やかな衣装の色に溢れる春の山道は、いかにもお祭りの景色。
「これからも皆で楽しく仲良く過ごせますように、って書きました」
　珠に似た猫のイラストつきの人型の紙を示し、智瑜は少し後を歩く夕と日暮に並ぶ。皆の願いごとが何なのか、気になった。
「何て書いたんですか？」
「聞いてきいて、こんね、みんなといちごがたべたいって書いた！」
　こんが苺の絵つきの人型を頭の上に掲げてみせる。
「わしも智瑜と似とるよ。この島にできるだけ長う居たい、てな」
「うちも、あの家でずっと暮らしたいて書きました」
　ほとんどお揃いの願いごとを書いた人型の紙は、みんな一緒の笹船に乗せることにする。
「ぎゅうぎゅうやなあ」
「ぎゅうぎゅうですね」
　山道の半ば、桃の花で飾られた小さな橋のたもとに身を寄せ合ってしゃがみこみ、桃色の人型の紙を乗せた笹舟をそっと、皆の手で流す。
(皆の願いが叶いますように)
　澄んだ流れに乗って、たくさんの笹舟がたくさんの願いを乗せて流れてゆく──

「修君はどんな願いごとを書いたの？」
　流れてゆく笹舟を祈るように見つめるまま、七夜あおいが問うてきた。
　おひな行列の衣装のまま、可愛らしいお雛さまの格好のままの少女につい見惚れていた視線をそっと笹舟に向け、八神修は少し口ごもる。
「……が幸せでありますように」
　名前の部分は聞こえないように誤魔化したつもりで、けれどあおいには自分のことなのだろうと伝わったのかもしれなかった。隣のあおいの横顔がほんの僅か、照れたように俯く。
「……親しい人の幸せは俺の幸せであるんだ」
「修君らしいね」
　じわじわと赤くなる頬を掌に隠して零せば、あおいは華やいだ笑顔を見せた。
「おひなさまの格好で流し雛をするなんて思ってなかったな」
　照れ隠しに雛の歴史や厄流しに思索を巡らせる修の傍ら、あおいは色鮮やかな衣装の裾をふわりと春風に翻して立ち上がる。くるりくるり、楽し気にその場で回る少女に目を奪われかけたとき、川辺の砂利に足を取られてあおいが転びかけた。咄嗟に伸ばした手であおいの手を取り小柄な身体を支える。
「修君には助けてもらってばっかりだね」
「……俺の方があおいに助けてもらってばかりだ」
　笑みを交わし、山中の川を流れてゆくたくさんの流し雛たちをふたりで眺めやる。　
(けれど)
　ふと、気になった。
(俺達の厄を持ってくれた彼らに救いはあるのか)
　息をひとつ吐き出す。上着のポケットで小さく鳴った携帯電話を出してみれば、短文投稿SNSであるねこったーへの新規書き込みを示すアイコンが記されていた。なんとなく気になって開いてみれば、書き込まれていたのは寝子ヶ浜海岸に顕われたという流し雛たちのこと。
(お見送り、か……)
　あおいに神魂の影響で現れた流し雛たちのことを告げ、手伝ってほしいと頼む。
「彼方へと昇華されるだろう彼等に、……お礼とお守りとして小さな手作りの雛を渡すのはどうだろうか」
　瞳を強く輝かせる彼女の返事は、聞くまでもなかった。