さくら、たちばな、ももの花。～ひなまつり in ねこじま～｜リアクション

さくら、たちばな、ももの花。～ひなまつり in ねこじま～

　緋毛氈が敷かれ、そこここに豪奢な衣装を纏った人々が屯う様子は、まるで別の世界の宴に紛れ込んだかのよう。
「あらまあ、いいのかしら」
「お母上がせっかく作ってくれたものだろう」
　ひとの大きさをしたお雛さまとお内裏さまの姿ながら、話し方も動作も町にいる普通のおじさんおばさんと変わらないふたりに囲まれて、幸次はのんびりと笑った。
「どのみち一人じゃ食べきれないような量だったから、ここでみんなに振舞った方がいいと思って」
　わらわらと集まって来るのは、五人囃子の少年たち。うまそううまそうと声を揃えられ、幸次はなんだか嬉しくなる。
「母さんのお菓子が役立つなら、いくらでも食べてもらっていいよ」
　わあ、と上がる少年たちの歓声を耳に、千早は現世ならぬ景色にすら見える海岸の景色を眺めやる。
　たとえば舳先に掲げられた扇を射んとする衛士たち。
　たとえばお菓子の美味しさに太鼓や笛を鳴らして踊り喜ぶお囃子たち。
　さあさあ座れとカーディガンの袖を引かれるまま、緋毛氈の端につくねんと遠慮がちに膝を揃える。そうして生真面目に悩む。
(音楽は苦手であるし、武芸など嗜むはずもない)
　芸事を求められたところで、応じられよう筈もない。
(踊るなんて考えた事もないし、)
　扇当ての光景はいつか古典の授業で読んだ物語の光景に似て、張り詰めて美しくもあるが、
(そもそも僕は近視だ)
　小さく俯いた途端にずれた眼鏡の蔓を指先で正しながら、所在なくデジカメの画像一覧を開く。今までに撮りためた寝子島の写真を一枚ずつ表示して捲る。
「わはは、それは九夜山の桜だな」
　ひょいと覗き込んできて酒臭い息で磊落に笑うは、真っ赤な顔した右大臣。
　右大臣の声につられ、他の官女や随身や衛士たちが顔を寄せ合うようにしてデジカメの小さな画面を覗き込んでくる。
「これは三夜湖ね、展望台から撮ったの？」
「寝子電スタジアムの灯りだ、何だか妙に切ない気分になるんだよな」
「そうかしら、わたしはわくわくするわよ」
　写真が切り替わるごとにそれぞれに口にしては柔く目を細める流し雛たちの姿に、
(……そうか)
　千早は気付く。
(この島が愛しく、離れがたいのだな)
　彼らと同じに、自分もこの島が好きだ。離れたくなくて、進学先の大学を散々悩んだ。
　島を離れがたい雛たちを思い、瞳を伏せた先、
「あ、チハヤ」
　五人囃子の少年たちと相撲を取って緋毛氈をごろごろ転がってきた蒼い髪の少年と目が合った。
「すごく楽しいなあ、何かのお祭り？」
　海に響く楽の音に惹かれて海底から上がってきたのだと声を弾ませる、夏の夜の夢を見せてくれた不思議な少年に、千早は視線を合わせたまま口元を緩めた。

「流し雛といって」
「うん」
「船に人の厄や願いを乗せ、彼らが神様の元へ届ける」
　地域によっては昔の戦で亡くなった人達を慰める行事でもあるらしい、と話す千早の膝の上、ユニは匍匐前進でやってきて顎を乗せる。
　海色した少年の瞳に、ふと思い出すのは彼に連れられて目にした蜃気楼のような水底の白い町。
(──浪の下にも都の候ぞ──)
　戦に敗れた幼い帝が宝剣と共に沈んだ海の底の都は、もしかしたらあの白い町に似ているかもしれない。
　たとえばいつか、あの白い町が昔日の姿を取り戻せば、役目を終えた雛たちが宝船とともに降り立ち、住まうたりはせぬものか。
(そうであれば、ユニもきっと……)
　夢想するまま、水底に今はひとりで棲む少年の蒼い髪を撫で、千早は静かに静かに息を吐いた。