振りかけろ、塩！｜リアクション

振りかけろ、塩！

　猫鳴館のすぐそば。ナメクジの処遇を決める議論は拮抗している。

　氷雨潤一から電話を受けた逆巻天野は凍り付いた。
『いいですか、ナメクジさんを絶対に傷つけないように』
「はい」
　普段なら返事ついでに毒舌も付け添える天野だが、潤一の前では言葉が出てこない。
『……逆巻さん、また喧嘩をしているのですか？』
　読心されたか……。すぐにでも電話を切って逃げ出したいところだが、
「ナメクジをどうするかみんなと相談してて……喧嘩とか傷つけたりとか、そういうのはないので」
　弁解せずにはいられない。
『そうですか、よろしくお願いしますね。彼らは戦うことを望んでいません。ただお家に帰りたいだけなのです』
「お家？」
『とにかく、優しくしてあげてくださいね』
　という潤一の優しい声自体が、天野にとっては冷や汗ものだった。

　電話を終えた逆巻天野は、ナメクジを食そうと虎視眈々チャンスを狙っている後木真央への警戒を、一層強めた。
「後木、ナメクジを丁重に扱うようにとのお達しが出ている。傷つけることは絶対に許さないよ」
「真央ちゃんもう食材にするのは諦めたのだ、瓢ちゃんの案に乗るのだ。地下帝国のペットにするのだ！」
　真央は閃いていた。ナメクジは雌雄同体、１匹でも繁殖が可能だ。地下帝国で繁殖させ、それを食料にすれば……猫鳴館の永久食糧の出来上がりだ。
「さすが後木はん、話が分かるねぇ。これで多数決なら、飼うで決まりよぉ！」
　天野は口をつぐむ。賛成はできないが、特に反対する理由も見当たらない。
「とはいえ……」
　伊賀解理が挙手し、ナメクジの周囲を歩きながら発言する。
「この大きさじゃ、地下帝国への穴は通らないよ」
「ふむ、少し粉を拝借しようかねぇ」
「粉をかけるより、先に試したいことがあるんだけど、ちょいといいかい」
　桜崎巴がバケツを手にナメクジの前へと進出した。
「あたしはここに、水を豆腐に変えるドジョウを持ってきてる」
　ぐちゃぐちゃの豆腐に手を突っ込むと、ドジョウをすくいあげた。
「ドジョフ・Ｆ・スキー、出番さね」
　バケツを寄せられ、その部分だけ形をへこませるナメクジ。そのくぼみを利用して、巴は愛魚のドジョフ・Ｆ・スキーを流し込んだ。
「巨大ナメクジ対変態ドジョウ。まさかこんな対決が見られるとは」
　直視しがたいビジュアルに、解理は目を背けたくなるも、どうしても結果が気になってしまう。
「さあ、どうなるか、注目だよ」
　全員が固唾をのんで見守った。

　チュー……グチャップヨッ

　水を吸い上げる音、豆腐が濾されるような音、その他色々と表現しがたい音たちとともに、ナメクジとドジョウの触れたところに、崩れた豆腐がモリモリモリと生産されていく。
「うっ」
　誰かが、喉にこみ上げる何かを押さえる。グロいとかエグいとかそういう世界とはまた異なる異界が広がった。ヌルリと弾けるドジョフ・Ｆ・スキーと、ヌメッと体を張ったり緩めたりするナメクジと、新鮮な豆腐という、見事なミスマッチが、得体の知れないキモさを創造していた。

「これは、なんていうか……みんなごめんよ。もっとすごい感じになると思ってさ、なんかこう、さ」
　巴が視線をさまよわせながら謝る。
「桜崎はんは……悪くないよぃ……」
「むしろ何かを期待した僕たちが悪かったよ」
　瓢と天野が惨状に背中を向ける。
「真央、良かったら豆腐、食べてもいいんだよ？」
　無理に笑顔を作る巴。呼ばれた真央はブンブンと首を横に振った。
「まあでも、確実にナメクジは縮んでいってるね」
　豆腐になってしまった水分を取り戻すことはできない。解理の言うとおり、ナメクジは少しずつ背を低くし、反比例して彼らの足元にはボトボトと砕けた豆腐が落ちて行った。