唐突な使命｜リアクション

唐突な使命

　ふああ、と大きなあくびが口からあふれる。
　アルバイトを終えて寮に帰宅した四野辺蘭月は、疲れたと言わんばかりにベッドにぼすっと腰かけた。
　入学と同時に寝子島での寮生活を始めて早一ヶ月。バイトして寄り道して好きなもの食べて、と一人暮らしの自由はある程度謳歌してしまった頃。物珍しかった日々はすっかり日常となってしまい、勉強にアルバイトにと楽しくも忙しい毎日だ。
「あ、そだ。今月のキューキー、まだチェックしてへんページあったっけな」
　枕元に置いてあったティーン向けファッション誌『Cuty Kitty』を手に取ると、机に座ってペンと付箋を引出しから引っ張り出した。新しいものが好きな四野辺にとって、雑誌のチェックは欠かせないのだ。
　ページをめくると、最新のヘアアレンジが乗っていた。どうやら今年の夏は大き目で派手なシュシュが流行るらしい。
「結う位置は高めに、毛先はゆるく巻くのがポイント……なるほどねー」
　雑誌のヘアアレンジを真似しようと、四野辺がツインテールに結っていたリボンを解いたときだった。
　カサカサ、と視界の端を小さな何かが横切った。
　その不穏かつ不気味な存在感。まさか、と四野辺はさっと顔から血の気が引くのを感じた。
（うわ……いややわ、まじありえへん、まじありえへんって……！）
　どうか見間違いでありますように。
　そう祈りながら恐る恐るそちらに視線を向けると――いた。
　あの黒く光る嫌な虫がそこにいた。
　人間よりも遥かに小さいくせに、こちらを圧倒させるその存在感。そして嫌悪感。
「いやあああ！　やっぱり出たぁああ！」
　ガタガタッ、と椅子から転げ落ちそうになりながら四野辺は立ち上がる。ゴキブリとの遭遇。それは一人暮らしの最初の試練といっても過言ではない。
「え、何コレ何コレ、殺すん？　どうやって殺すん？」
　パニックになりながら、ゴキブリ退治の古典的なアイテムを思い浮かべる。
　新聞……はとっていない。スリッパも使っていない。手元の雑誌は大切な情報源だ。ゴキブリの死骸を貼り付ける訳にはいかない。
　そんな四野辺に、まるでゴキブリは挑んでくるかのようににじり寄ってくる。進路をこちらに変えたその様子に、ひえっと四野辺は上ずった声を上げた。
「何でこっちに向かってくんねん！　あっち行ってってもう！」
　近づいてくるゴキブリに向かって、四野辺は机のものを手当たり次第投げつける。
　ペン、付箋、消しゴム。
　――そして、ついさっきほどいたリボン。
「……え？」
　その光景に、四野辺は思わず目を瞬かせた。
　本来なら投げたところでひらひらと舞うように落ちるだけのリボンが、どうしたことかまるで蛇のようにうねうねと動いてゴキブリに絡みついたのだ。
「えっ、何なんこれ？　ま、まあええわ、今のうちに！」
　そのリボンを引っ掴むと、リボンごと窓の外に放り投げた。お気に入りのリボンだったが、この際仕方ない。
　それよりもさっきの出来事だ。
「何やったんやろ？　確かにリボンがしゅーって巻き付いて……あれ？」
　ためしに他のリボンを投げてみるが、はらりと床に落ちるだけ。
　別のリボンで試してみても結果は同じ。

　……夜な夜なリボンを投げ続け、結局「ほどいた直後のリボンでなければ発動しない」ということに気づいたのは一週間ほど経ってからだった。
　それ以来、まああったらなんかに使えそうやな、という心持ちで四野辺は毎朝髪にリボンを結っている。
（これでコンビニ強盗にあってもうちが捕まえれるんちゃう？）
　そう思いついてからは、実用性も兼ねて幅広で長めのリボンを選ぶようにしている。
　今年の流行りはシュシュらしいけど……
　まあこればっかりはしゃーないわ、と四野辺は鏡に映る自分に小さく笑いながらリボンを結い上げた。