唐突な使命｜リアクション

唐突な使命

　入学式で聞いた不思議な声。
　もしかしたら幻聴だったのかな、と思いながら、勅使河原悠は手を洗おうとトイレに立ち寄った。
　冷たい水にでも触れれば少しは頭がスッキリするかもしれない。蛇口を捻ると、勢いよく飛び出してきた水にその手を浸す。
（いろいろあって、驚いたけど……しっかりしなきゃ）
　寝子島に引っ越してきて、まだ日は浅い。
　生来人見知りの強い性格の勅使河原にとって入学式は緊張の連続だったけれど、これからここで三年間を過ごすのだ。
（うまくやって……いけるかな……？）
　冷たい水は不思議と心を落ち着けてくれる。ふう、と一息着くと、勅使河原は鏡に映る自分の顔を見つめた。
　黒いつややかな髪に、少し垂れた茶色の瞳。内向的な性格を表すような穏やかな顔立ちは、緊張のせいかいつもより少しだけ強張っている。
　見慣れた自分の顔を見つめていた彼女は、不意に右目に痒みを感じた。
　まつげでも入ったのかな、とその目を擦ろうとしたときだった。
　ちょうど右目がすっぽりと手の向こうに隠れたとき、鏡の中の左目がぐん、と大きくなったのだ。
　その唐突で不気味な出来事に、きゃ、と勅使河原は思わず悲鳴を上げて後ずさりする。声を上げてから、はたと彼女は辺りを見回す。幸い、トイレには誰もいないようだ。
　人がいないのを確認すると、勅使河原は右手を下ろして改めて自らの顔を鏡でまじまじと眺めた。
　右目と左目。鼻、口。何ら変わりのないいつもの自分の顔である。
（でもさっき……確かに左目が、ぐんって大きくなったような……）
　あ、もしかして。
　そういえばさっきは右目を手で隠した状態だった。思い当たった勅使河原は右目を隠して恐る恐る鏡を覗きこんだ。
　そこに移ったのは、先ほどと同様に左目が大きくなった自分の姿。見慣れないその顔はなんともいえない不気味さを感じさせて、勅使河原は小さく首を振りながら右手を外した。すると再び戻ってくるいつもの自分の顔。
「やだ……なんなのこれ……」
　怖い。
　そう感じる勅使河原の耳の奥では、入学式で聞いた猫の声が蘇ってくる。
　もれいび……ろっこん……特殊な力。
　きっとこれが、その自らに与えられた力なのだろう。
　けれど、それは今の勅使河原にとっては恐怖でしかなかった。
「どうして、私が……！」
　鏡を見るのが怖い。その狭い空間から逃れるように、勅使河原は足早にトイレから立ち去った。

　それからしばらく経っても、この奇怪な現象は終わらなかった。
　きっと、勅使河原がどんなに恐れたところでこの力が消えてしまう訳ではないのだろう。
　学校や町中でいろいろと試した結果、右目を隠した状態の左目では相手の持つ「力」のビジョンが大まかに見えるということが分かった。鏡の中で彼女の左目がぐんと大きくなったのは、自らのこの特殊な視力を表したものだったのだろう。
　ろっこんと少しずつ向き合っていくうちに、勅使河原のうちに渦巻いていた未知への恐怖はゆっくり解されていた。
（確かに怖い、けど……もしこれが私の使命なら）
　せめて誰かの、みんなの役に立つように。
　おとなしい少女は、自らの右目を隠しながら心の中で小さくそう覚悟した。

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