白いハコニワ～ホワイトアウトな白昼夢～｜リアクション

白いハコニワ～ホワイトアウトな白昼夢～

「ふふ～ん、なかなかの風情じゃな～い？」

　湯船でひっくり返り、辛うじて起き上がった天利を眺めて、ミッシェル・ナイスゲイはほほ笑みを投げかけた。
「……これが風情ある男の姿かね」
　天利はお湯で濡れてしまった顔面を手ぬぐいで拭き、あらためて湯船のヘリによりかかった。
「まったくもう、混浴風呂で女子高生と痴話喧嘩なんてスミに置けないんだからぁ～」
　当然のように並んで座り、汚れたお盆とその上のものをふき取り、新しい酒をお猪口に注ぐ。受け取った天利は、苦笑いと共にそれを飲み干した。
　ミッシェルはこんな顔をしているが、ゲイバー『ジオフロント』のママをしている。ゲイバーということで偏見と好奇の目で見られることも多いが、要は客商売だ。ひとつの店を長年切り盛りしているのだから、こういう気遣いができない筈もない。天利もそれを分かっていてサービスを受けるに任せている。ここでも、ふたりは客とママなのだ。

「ははっ、痴話喧嘩で妬いてもらえるようなら俺もまだまだイケるってモンだな」

　もちろん先ほどのやり取りはいわゆる『痴話喧嘩』ではないのだが、特に肯定も否定もしない。ミッシェルが本気で言っているワケではないことを天利は知っているからだ。
「何言ってるのよ～ぅ、アタシはずっと二十ちゃんにゾッコンだって知ってるくせにぃ～」
　そのままミッシェルは天利にしなだれかかり、しばし会話と酒を楽しんだ。

　そう、ここは温泉宿。温泉と酒を楽しんだ後は、オンナとの会話を楽しむのだ。

　その相手がはたして生物学的に女性であるかどうかは、ふたりにとっては些細な問題なのだろう。

☆

「はぁ……っ。どうして、こんなに頭が痛いのかな……」

　どうにかして自分の客室に戻った恵御納夏朝だが、どうにも頭痛が治まらない。
　どうして、といいつつも夏朝にはその原因がなんとなく分かっていた。病気やケガなどではない、おそらくはこの温泉旅館そのものの根幹に関わることだ。
「ぜったいに何かあるんだ……僕の記憶の中……思い出せない、何かが……」
　独り言が品の良い和室に響く。
　実年齢よりもちょっと幼い夏朝の表情が苦しさに歪む。きっとひどい顔をしてるんだろうな、なんて妙に冷静な考えが頭の片隅をよぎった。
「ああ……！！」
　ここに来る前、とても大事な用事に向かっていた筈なのだ。それを思い出そうとすると頭痛がする。頭に刺さった棘がザクザクと、脳内の思考領域を潰していく。

「痛い……！！」

　わかっている。思い出して欲しくないのだ。その記憶がこの温泉旅館の主と深い関係がある。
　それを、思い出させないために、この旅館に呼んだのだ。きっと。

「はぁっ……」

　でも、誰が？
　何のために？

　わからない。

　わからないが、夏朝は懸命に抵抗していた。
　気を抜くとすぐに意識が刈り取られてしまいそうになる。必死に伸ばした手が脱いであったコートに触れる。

「……！！」

　何かが心にひっかかった。思い出したわけではない。考えたわけではない。
　しかし、夏朝はそこに何があるか知っているかのように、コートのポケットをまさぐった。

「これだ……！！」

　それはコートに入っていた、小さな四角い――ラッピングされたギフトボックス。
　もちろん、夏朝が普段コートのポケットに入れているようなものではない。

　あの日。この温泉に来る直前まで、夏朝はこの『プレゼント』を持っていたのだ。
　ボックスに添えられたメッセージカードに記された文字が夏朝の目に踊る。

「……そうだ、そうだ……どうして忘れていたんだ……大切なこと、だったのに……！」

　立ち上がり、プレゼントを持ったまま部屋を飛び出す。
　思い出した、思い出した。
　思い出したからにはまだ足りない。自分だけでは足りない。

「天利さんだ……！！　きっと来てる筈……！！」

　廊下を走る夏朝が抱えるプレゼントのカードには、丁寧に書かれた文字が輝く。

『フィリア・天利さんへ、ハッピーバースデー！』