実験島NEK-0J1MA｜リアクション

実験島NEK-0J1MA

【見えざるもの】

「……いらっしゃいませ」

　伸ばしっぱなしの前髪に、ちらと垣間見える陰鬱そうな瞳。無表情。なんなら仏頂面とまで言ってもいいかもしれない。
　第一印象は決して良好とは言いがたかった。
「店主の、浅葱あやめです……今日は、どのような御用で……？」
「ああ、ええと。仕事用の眼鏡を一本作りたいなと」
「では……こちらへどうぞ」
　仕草だけは慇懃に見えるものの、献身的なサービス精神だとか、おもてなしだとか、そういった言葉とは無縁に思える。接客態度には難アリといったところだ。
　しかしぐるりと見回すと、小奇麗に整えられた店内には清潔感があるし、旧市街の老舗店舗といった古き良き佇まいにも好感が湧いた。半端な心構えでは、この空気感をかもしだすことはできないだろう。
「お客さまには……こちらのフレームなどが、お似合いかと。いかがでしょう……」
「ああ、いいですね。でもこっちのも気になるなぁ」
「では両方、ご試着ください……」
　つまるところこの店主は、人付き合いが下手なだけなのだろう。ネガティブな印象を受けるのは仕方がないが、客である私に良い商品を手渡そうという、仕事に対する秘めた情熱のようなものは多分に伝わる。
　不器用なのだ。
「こちらに、お決めになりますか……」
「ええ。とても気に入りました」
「分かりました。では、レンズをお作りします……検眼を行いますので、こちらへどうぞ……」
　程なく完成した新しい眼鏡をかけて店を出た私の胸は、あたたかかった。

　仕事には誠実なつもりです。
　お客さまが『見る』ことを助ける。それが僕の役割だと自負しています。NEK-0J1MAにおいては、見えにくいものもたくさんありますから……。
　僕の眼鏡は特別製です。黒服の皆さんからのオーダーで、実験対象ごとに最適なものをお作りし、手渡します。
　基本的な機能は三つ。
　ひとつは、『実験対象の視界の録画』。
　ひとつは、『実験対象の視線の動きを感知し、ろっこんを使用する対象を事前に察知する』。
　もうひとつは、『レンズにサブリミナル映像を投影し、ＭＴＴＢの効果を増長する。また、実験対象同士に共通の幻像を見せる』。
　ただの眼鏡に見えてその実精密機械であり、定期的なメンテナンスは欠かせません。だから僕は実験体に紛れ、身近に生活しながら役割を果たしているのです。
　僕の仕事は、実験島の運営においても大きな意味を持っていると言えるでしょう。
　……ただ……。
　そうですね……少し、距離が近すぎたのかもしれません。
　僕は眼鏡屋です。実験のためであろうと、そうではなかろうと、仕事は変わりません。
　『お客さま』が、見ることを助けること。彼らが見たいものを、くっきりと見せてあげること。
　ＭＴＴＢによって歪められた視界は……本当に、お客さまが見たい光景でしょうか……。
　胸の奥に感じていたわだかまり。それがはっきりと自覚できるほどになったのは、最近のことです。
　多くの実験対象の視界を録画した映像を収集し、黒服の方へ提出するために編集を行っていたところ、彼らの存在が僕の目に留まりました。
　『野良猫解放戦線』。
　ＭＴＴＢから解放された彼らは、この島に何を見ているのだろう。
　未だ見えてない人々へ、なにをもたらすのだろう。
　僕は……どうすべきだろう。どうしたいのだろう。
　『見る』ことを助けること。全てが正しく見えることこそが、眼鏡屋の仕事では……？
　ならば、僕は……。

「今週分の映像を受け取りに来ました」
「ああ……椎井さん。いらっしゃいませ」
　浅葱氏のきめ細やかな仕事にはいつも助けられている。彼の提供する映像から得られるデータは実に貴重で、解析班にも重宝されている。
　人当りは決して良くないものの、そこに大した意味は無い。実験島では、データが全てだから。
「椎井さんは……目の調子は、いかがですか。物が見えにくいとか、困ったことは……ありませんか」
「ええ、大丈夫。今のところ眼鏡は必要なさそうです」
「それは、なによりです……」
　だからこそ、看過はしにくい。
　提供される映像は、私も逐一チェックしている。
　その編集に、どこか作為的な……彼の意思が介在するようになった気がするのは、私の思い過ごしだろうか。眼鏡の奥に本心を隠しているように思えてならないのは、私のつまらない邪推だろうか。
　我々は彼に、なにを見せられているのかしら？
「……結構です。では今回はこれで。また来週伺います」
「はい。お疲れさまでした……」
　私は……なにを『見て』いるのかしら？

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