一通り食べ終わる頃には、辺りは薄暗くなりつつあった。
「ふうー。なんだかんだ食べきったわね。一時はどうなることかと思ったけど」
　島野 夏帆がお腹をぽんぽんと叩きながら満足げにそう言った。まずいものはうまい、という定説はこれも当てはまっていたようだ。なんだかんだで出された分はきっちり食べてしまった。
「じゃああとは……後片付けだな」
　その場に散らばった缶や惣菜のパックを見渡しながら、八神 修が言う。
「惣菜のゴミはともかく、缶は厳重に捨てないとね。近所迷惑になりそう」
　言いながら、あ、これまだ入ってる、と逆巻 天野は残っていたシュールストレミングをつまむと隣で余ったトマトを食べていた御剣 刀の口に放り込んだ。何の前触れもなく臭気を口に突っ込まれた御剣は、うぐっ、とむせるような声を出す。
「きゅ、急になにするんだ！」
「ごめんごめん、でも余らせたら勿体無いじゃない」
　もったいない、という逆巻の言葉に、御剣はしぶしぶと納得したように頷く。
「ああもう……こんなにしてしまって……明日臭いが染み付いても知らないからな……」
　止めに入ろうと思ったが結局間に合わなかった。毒島 林檎は力なく首を振りながら、火箸でシュールストレミングの缶をゴミ袋に突っ込んでいく。彼女の壮絶な過去を知っているヨハン・プレストンは、同情的な眼差しで見ながら片づけを手伝ってやっている。
　惣菜のゴミと、シュールストレミングのゴミ。やがてゴミはすべて、この二つのゴミ袋に回収された。
　前者はともかく、後者は厳重な処分が必要である。
「林檎ちゃん、ごめんね……でも意外とおいしかったのよ」
　壇塚の言葉に、毒島はそうか……と脱力したような声で言った。
「それにしてもこんなのに付き合うなんて……もしかして」
　そこまで言うと、毒島は壇塚と八茶目の姿を見る。
　臭い仲――もしかしてなにぬちゃんってセンパイのことが好きとか？　きゃー！
　という心の中で言ったはずの声は本人が気づかぬうちに口から出ていたようで、その言葉に壇塚は顔を赤らめる。
「ち、違うわよ！　誰がこんな臭い先輩なんて……！」
「く、臭いのはお前もだろ！　今は全員臭いんだよ！」
　八茶女の突っ込みは的確だった。確かに今は、この場にいる全員が臭い。
　男性陣は笑ってそのセリフを聞き流すものの、女子生徒たちにとっては笑えない事態である。
「……髪に染み付いてなければいいけど」
　十文字 若菜は、ひとつにくくったその長い黒髪を鼻に近づけるとくんくんとその臭いを確かめる。
「染み付くぞ。一週間はとれないぞ」
　実体験をもとに語る毒島の重い言葉に、いやあああと十文字は頭を抱えた。
「あー、ほんとに臭うな、これ」
　二人のやりとりを見て、男子でありながら長髪の御手洗 孝太郎が同じように自らの髪を臭って言う。その様子にこれって突っ込むべきなのかしら、と思わず逡巡する十文字の代わりに、逆巻が言った。
「御手洗はもともと臭いでしょ。……そうだ、せっかくだから今日は猫鳴館でシャワーでも浴びたら？」
　その提案に、そうだなー、と御手洗は頷く。
　彼はかつて猫鳴館に所属していたものの、今はそこを離れ大きな橋の下に住んでいるのだ。
「よーし。そうと決まれば魔王との戦いの傷跡を落とすぜー。猫鳴館のやつ、一緒に行こうぜ」
　御手洗の誘いに、逆巻と八茶女は頷いた。一刻も早くこの臭いを落としたい。その提案に異論はなかった。
「じゃあ真央ちゃんも一緒に帰るのだー！　今日はみんな、ありがとだったのだ！」
　同じく猫鳴館に住む後木 真央も倣うように立ち上がると、ぴょこぴょこと跳ねて皆に手を振った。
「じゃあこのゴミ袋は俺が責任持って処分しよう……みんな、今日はありがとうな！」
　ゴミ袋を抱えた八茶女が、改まって皆に向き直ると頭を下げた。
「来年も実家から送られてくるかもしれないが、そのときはよろしく頼む！」
「いや、さすがにもう勘弁してください」
　もしまだ送ってくるようなら、俺が交渉しましょうか？　と冗談半分で八神が言った。
　その言葉に、えっ、まじで、頼む……！　と先輩らしくなく八茶女は素でお願いするのだった。


　一通り片付けと会話が終わると、じゃあ帰るかー、と御手洗は伸びをしながら言った。
「よし！　じゃあ猫鳴館まで競争な！　よーい……」
　どん！　と言ったのは後木だった。陸上で鍛えたスタートダッシュで見る見る遠ざかっていく。
「あ、待て！　ずるいぞ！」
　その小さな背中を追いかけるように、猫鳴館の生徒たちは駆け出して行った。
「気をつけろよー！」
「まったねー！」
　その背中に声をかけながら、御剣と島野が大きく手を振る。
「じゃあ……私たちも帰りましょうか」
　十文字が空を見上げながら言う。時刻はもう七時過ぎ。六月とは言え辺りはもう薄暗い。
「そうだね。若菜ちゃん、今日はありがとう！」
「ううん、こっちこそ誘ってくれてありがとうね」
　二人は顔を見合わせて笑うと、じゃあもう私たちは帰るね、と他の生徒たちに手を振った。
「ああ、二人とも気をつけて」
　手を振る八神の隣では、御剣とシダ 美穂戸が残った惣菜を夢中で食べている。ヨハンは余った牛乳や水をしきりに飲んでは口の臭いを気にしているようだった。
「……帰ったら歯磨きをちゃんとやらないとな」
　その神妙な言葉は冷徹そうな彼には不釣合いで思わず御剣は笑いかけたが、それが他人事ではないと気づいて顔を引き締める。
「……確かに、だな」
　明日はクラスで非難を浴びるかもしれない。いっそ休んでしまいたい気分だ……。
「ンゴーン！　これ、いい食べ物だな！」
「この袋……あの高級スーパーのだからな。さすが八神」
　食べるか？　とシダにクラッカーを差し出され、毒島はそれを受け取った。
「あ、ありがとう……実はお腹がすいててな」
　そこでようやくガスマスクを外すと、毒島はクラッカーを一口食べた。
「ほら、チーズもトマトも余ってるから。どんどん食べていいぞ」
　ちょっと食材を買いすぎたかと思ったが、これはこれでよかったみたいだ、と八神は安心する。
「じゃあ俺もそろそろ帰るよ。悪いけど、残ったゴミはよろしく頼む」
「ああ。たくさん買ってきてくれてありがとう」
「カムオン！　またな！」
　御剣と毒島とシダに見送られ、八神は校舎を後にした。
（なかなか美味しかったな。帰ってビデオを見るのも楽しみだ）
　そう思いながら、八神は小さく笑う。
　帰って、家で待つ愛猫と愛犬たちから顔をしかめられることなど、知る由もなく……。



　――翌日、この集会に参加した数名が学校を欠席した。
　いずれも体調不良という不明瞭な理由だったが、恐らく臭いがとれなかったのだろう。