化野原に寄りて在る｜リアクション

化野原に寄りて在る

すばるとブリジットは鳥居の前に立っていた。
落神神社の鳥居である。
人の出入りも滅多に無く、勿論境内の清掃など誰もしないため草は茫々。
本殿の屋根は欠け、木戸は破れ、荒れ放題に荒れている。
鳥居も例外ではなく、表面の丹が剥げ、鮮やかな朱色だったであろう在りし日の姿は所々に残るばかりで、今や単なる木の柱だ。
そこをくぐりぬけ、２人は今にも崩れ落ちそうな本殿へと足を踏み入れた。
長い間放置されていた割に、入口の戸は抵抗無く開いた。
「うぇ、カビ臭いわね……」
「うん。でもその他にもなにか……この臭いは……？」
落神神社は町からは離れた山の中に建っている。
境内など言うまでも無いが、今まで２人が歩いてきた参道もすねに届くほどの下生えが茂り、いわゆる山の匂いで満たされていた。
しかしここに流れる臭いはそれとは少し質を異にしている。
山の匂いがねっとりと絡みつくようなものだとすれば、対してこちらは粉っぽく、ぱさぱさした印象を与える。
２人がさらに奥へと進むと、すんすんと、すすり泣くような声が聞こえた。
女の声だ。
「だ、誰か居るの？」
ブリジットがおそるおそる尋ねる。
答えは無い。
ただ泣き声だけが響いてくる。
「す、すばる……」
「うん」
ブリジットは思わずかたわらのすばるへと一歩身を寄せる。
しばらく戦々恐々としていたブリジットだったが、やがて堂内の暗闇に目が慣れてくると、部屋の隅にひとり、女の子がうずくまって泣いているのが分かった。
ブリジットはほっとした顔で彼女に近づいた。
それに従ったすばるは、ふと部屋の奥に目をやった。
ぞくり、と背中が粟立つのを感じた。
「そうか、あれの臭いか……」
そこにはおびただしい数のろうそくの燃え残りが立っていた。
おそらくはかつて落神神社の御神体が祭られていたであろう台の上に、隙間無く並べられ、溶け混じり合って、ひとつの蝋の塊になっている。
明るい光の下で見れば何でもない光景かもしれないが、こんな伸ばした手の輪郭もぼやけてしまうような闇の中では、なにかこちらへ這いずり迫って来る得体の知れないもののように見えた。
先程から部屋の空気に混じる臭いはその燃え滓の臭いだったらしい。
そのろうそく台の前には５枚の座布団が車座に敷かれている。
「百物語かな」
すばるがそちらへ気を取られている間に、ブリジットはうずくまっている女子に声をかけていた。
「ねえ、あなた大丈夫？　なにかあったの？」
しかし泣いているばかりでブリジットの言葉に反応はない。
後ろ姿しか見えないため正確なところは分からないが、体格からして年齢はブリジット達とそう差は無いだろう。
もしかすると寝子高生かもしれない。
すばるもブリジットの隣にやって来て、同じように質問をする。
「どこか怪我でもしているのかい？」
少女は首を横に振って否定する。
「じゃあ体調でも悪い？」
否定。
「それじゃあ」
すばるはそこで一呼吸置いて尋ねた。
「何か怖い目に遭った、とか？」
少女はこくりと頷いた。
すばるは彼女の肩にぽん、と手を乗せ、穏やかな調子で言う。
「そうか、大変だったね。でも僕らが来たからもう大丈夫。なにせ僕らは『妖怪退治』をして回ってるんだ。さ、こんな所に女の子が一人でいちゃいけない。一緒に行こう」
そう言って手を差し出したすばるに、ブリジットは一瞬むっとした表情を見せる。
しかし状況が状況である。
ブリジットとしても少女を置いていくつもりはない。
「私がエスコートしてあげるわよ」
ブリジットはすばるの手に重ねられるところだった少女の手を自ら取った。
「じゃないと自慢のバリツが使えないものねぇ。そうでしょ？」
「う、うん。そうだねブリジットさん」
「そうと決まればさっさと行きましょ。あ、そういえばあなた名前はなんて……」
すると、名前を聞こうと振り向いたブリジットは突然その場にへたり込んだ。
言葉を失ってしまったように、開かれた口からはなんの叫びもあがらない。
驚きと恐怖に目を見開いたブリジットの表情を見て、すばるは彼女に駆け寄った。
「ブリジットさん、大丈夫！？」
「……っ……か……！」
絞り出すようにかすれた声でそれだけ言うと、ブリジットはふっと意識を失ってしまった。
「ブリジットさん！？　くっ……君も何があるか分からないから気をつけ……」
すばるは少女の顔を見た。
しかしそこにはあるべきものがなにもなかった。
目も鼻も口も眉も無く、まるで卵のようにつるりとしている。
のっぺらぼうだった。
すばるの意識はそこで途切れた。

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化野原に寄りて在る

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