化野原に寄りて在る｜リアクション

化野原に寄りて在る

「アラ、あれは……？」
テオに『妖怪退治』を言いつけられ、猫又川河川敷をふらついていた尾鎌蛇那伊は、前方に何者かの影を認めた。
月の無い夜、柳の枝下、明かりに乏しいくらがりの中ではそれが女性らしいこと以外よく分からない。
「もしかして一般人が紛れ込んじゃったのかしら」
そうだとしたらここは危険だ。
いつどこから『妖怪』が姿を現すか分からないのだ。
蛇那伊は歩み寄る。
その女は俯き、袖口で顔を覆って啜り泣いているようだ。
「ちょっとアナタ、大丈夫？」
心配した蛇那伊が声をかけるも返事は無く、反応する素振りも無い。
訝しんだ彼は、少し警戒しつつ、相手の肩に手をかけた。
「ねえ、聞こえてる？」
その時、ついと女が顔を蛇那伊に向けた。
遥かに背の高い蛇那伊を下から睨めつける双眸は妖しい光にらんらんと輝いている。
にたりと笑んだ口は耳元まで大きく裂け、黄ばんだ犬歯がのぞいていた。
それは明らかに人間の容貌ではない。
（うっ！？）
思わず跳び退った蛇那伊の腕を鋭い痛みが襲った。
見れば制服の袖が鋭利な刃物で切り裂かれたように破け、彼の筋肉質な腕に一筋の切傷ができていた。
ぽたりぽたりと血が滴る。
「……やってくれるじゃない」
ゆらりと柳の影から歩み出たその女の頭には、髪をかき分けるように三角形の耳が突き出し、口元には針金のようなひげが何本かピンと張っている。
身に着けているのは寝子高の女子制服だが、丈の短いスカートを押し上げて尻尾が２本生えていた。
「化け猫、なのかしらね……さすがに『妖怪』を相手取るのは初めてだわ」
不安そうに漏らす蛇那伊だが、その表情は緊張に混じって楽しそうな色が見える。
自らを武人と称する彼の事だ。
未知の敵との遭遇も鍛錬のひとつに過ぎず、ひいては己を高める好機だと捉えているのだろう。
（どんな動きをしてくるか分からない以上、慎重にいかなくちゃね）
蛇那伊は相手の動きに広く対応できるよう右足を引いて半身になり、左手を顔の前、右手を左脇の下あたりにゆったりと構えた。
化け猫はさすがに獣らしく、はじめこそ動かない蛇那伊の隙を窺うように身を低くしていたが、しびれを切らしたのか唐突に跳び掛かった。
引っかくように振り下ろされた化け猫の腕を蛇那伊は軽くいなす。
そのまま彼の近くに着地した化け猫は牙をむき出しにして脚に噛みつこうとした。
しかし蛇那伊がすっと膝を上げると、化け猫は自ら彼の膝頭に鼻っ面をぶつけて弾き飛ばされてしまう。
「ふうん、ま、所詮は獣ってことかしらね。ちょっと期待外れだけど……」
その後も何度か化け猫は爪を振るうものの、それが蛇那伊に届くことは無かった。
たしかに獣の身体能力を用いた、しなやかで力強い攻撃はちょっとした脅威だが、一度慣れてしまえばただ速いだけの単調なものに過ぎない。
そしてそれは彼の培ってきた武に通用するものではない。
一通り化け猫の動きを見ると、蛇那伊は一転攻勢に出た。
化け猫の攻め手の出がかりを潰すようなタイミングで突きや蹴りを繰り出す。
俗に言う『先の先』を取るという戦い方である。
「シッ」
蛇那伊の鋭い蹴りが化け猫の腹部にクリーンヒットした。
よろめいた隙に彼は相手側面に回ると、膝を思い切り踏み抜く。
立っていられなくなった化け猫はその場に倒れ込んだ。
蛇那伊はそれを睥睨して冷ややかに告げる。
「アタシの前に立つには力が足りなかったわね」
ずどん、と大地を揺るがして、蛇那伊は化け猫の頭部を踏み潰したのだった。