「trick or treat！」
　観覧車周辺にわらわらぞろぞろと集ったゾンビたちが揃って声を放つ。拡声器で遊園地中に響き渡るその声が、ゲーム開始の合図。
(さてどうしましょう……)
　わらわらと群れて近づいてくるゾンビたちを一眺めして、ロザリーは小首を傾げる。仕込み傘とピストルで普通に戦うのもきっと面白くはあるだろうけれど、
(やっぱり、ちょっと試してみたいことがあるのだわ)
　ふわりと口元を緩ませ、ドレス姿のロザリーが足早に向かうのはミラーメイズの中。
　割れた壁から中に入れば、怪しげなライトに照らし出された鏡の迷宮に、たくさんの自分と息子の姿が映し出された。
　鏡張りの天井の隅、後から設置されたような監視カメラを見つけ、ロザリーはちらりと瞬く。あれが何を映しているのかは分からないけれど、それはともかく、
「なんだか隠れん坊をしているみたいで楽しいわね」
　片手に息子を抱き、片手に仕込み傘を提げ、ロザリーは密やかに微笑む。

「っ……！」
　お化け屋敷の前に置かれた壊れかけのお化けの人形の影に潜み、稀跡は離れた位置をうろうろするゾンビの胴体を狙ってライフルの照準を合わせる。
　腕に自信はない。だから狙うは基本的に胴体に貼り付けられた白い布切れ。息を整え、引鉄を落とす。円の描かれた布にパシン、とペイント弾が赤いインクをぶちまける。
　あぁうー、と濁った声を上げて動きを止めるゾンビの頭に、別の方向から飛んだ弾がヒットした。ぐお、と呻くゾンビに向けてナイフ一振りを手に駆けて行くのは、蒼。ドレスの裾がきわどく翻るのも構わず躊躇わない動きで真正面から突っ込み、ゾンビの右腿を斬る。
「左も！」
　鋭く呟いて刃を翻そうとした瞬間、どこからか飛んで来た弾がゾンビの左腿に赤く付着した。姉の援護か一瞬思うも、方向が違う。
　視線を巡らせた蒼が見たのは、まるで幽霊か幻が如くふわりと揺れる銀の長い髪と純白のワンピースのスカートの裾。
「ゼロが得意なのはいつの間にかいることなのですー、奇襲なのですー」
　ふわふわほわほわした言葉ひとつを残し、ゼロ・シーアールシーは蒼の視界から消えた。
　不思議な少女の姿に蒼が僅か惑う間に、
「一分、ね」
　お化け屋敷の向かいにあるチケット売り場の影からライフルを手に紫が出て来た。淑やかに笑う姉に妹は明るい笑顔を向ける。
「ナイス、お姉ちゃん！」
　援護してくれたもうひとりが本物の幽霊なのか参加者のひとりなのかはさておき、蒼は姉のもとに駆け寄ってハイタッチした。稀跡のところにもぱたぱたと近寄る。
　片手を掲げる人懐っこい女子中学生に、稀跡はほんの少し迷った後に片手を挙げた。ぱちん、と手を合わせて笑い合う間にも、あちらこちらからわらわらとゾンビが集まり始める。
「わ、いっぱい来た！」
「多勢に無勢ね、逃げましょう」
「そうね、それが良さそう……」
　頷きあい、打ち合わせもなしに同じ方向へ駆けだす息のあった姉妹を見遣り、稀跡は少し遅れて後を追う。振り返ってライフルを放ち、ゾンビたちの動きを封じて時間稼ぎを試みる。
(油断は禁物よ)
　路傍の石にも興味を示す石好きである稀跡は、石を探しにあちらこちらと歩いて回っているため、体力はそれなりにある。けれど継続的に何かから逃げるのがいつもと勝手が違うことも理解している。
　荒れ果てた花壇の影に飛び込む。駆けて行くふたりへ、先に、と仕草で示し、稀跡は体力温存を図って数秒息を整える。ゾンビたちの気配を気にしつつ、雑草だらけの花壇を素早く探し、隠されていた短銃と弾を見つけ出す。
(これが、『さばげー』)　
　短銃に弾を込め、ゆっくりと近づいてくるゾンビたちを撃つ。動きが鈍ったところを狙い、場所を移動する。
(……興味深い遊び、ね)
　石を採取できる仕様がないのは悲しいけれど、『生き残ること』が優先されるのであれば、それどころでなくなるのは分かる。
　近付いてくるゾンビに短銃の銃口を向けて引鉄を絞ろうとして、いつのまにか銃弾を撃ち尽くしていたことに思い至った。
(……いけない、気を引き締めないと)
　慌ててライフルを構える。
「稀跡ちゃん！」
「来てはいけないわ」
　背後に蒼の声を聞き、稀跡は振り返らずに首を横に振る。ライフルに残った最後の一弾を撃ち、素早く周囲を見回す。
(……我ながら、迂闊だったわ)
　ゾンビを確実に仕留めようとし過ぎて、ゾンビの数の多さを忘れていた。気づけば囲まれてしまっている。
「私はここまでね」
　呟く稀跡を『食べる』がため、蒼と紫を追うことは忘れた動きでゾンビたちが殺到する。数人のゾンビに囲まれながら、稀跡は最後の抵抗とばかり、短銃に弾を込める。撃つと見せかけ、大きく振りかぶって紫へ向け投げる。
「稀跡ちゃん！」
「行きましょう、蒼」
　稀跡から投げ渡された短銃を確かに受け取り、紫は小さな息を吐く。託された短銃とライフルの弾が尽きるまで、否、たとえ弾が尽きたとしても戦い続けることを胸に誓い、蒼の手を引いてその場を離れる。
「二人で、必ず生きのびるの」
「一緒だからね、お姉ちゃん」
　まなざしを交わし合い、ふたりは駆けだす。
　姉と並んで駆けながら、蒼は何より姉と分断されることを恐れた。
(だってお姉ちゃんと一緒がいいよ)
　たとえ、ふたり一緒に『食べられて』しまったとしても。
「蒼」　
　駆けて行く先に砕けて穴の空いた壁を見つけ、紫はそこに蒼を先に潜りこませる。不気味な唸り声を上げてよたよたと近づいてくるゾンビたちと対峙し銃を構えようとしたとき、
「あなたもこちらへ」
　蒼の潜り込んだ穴から白い手が伸び、紫を中へと引きずり込んだ。
　声もなく驚く紫が見たのは、たくさんの鏡を背にして微笑むロザリー。
「ほらアンリ、ご挨拶なさい」
　片腕に抱いた息子人形に語り掛けてから、ロザリーはふたりに背を向けて歩き始める。鏡に惑わされる迷宮にあって道を熟知しているロザリーの足取りに、蒼と紫は顔を見合わせた。
「待ち伏せ、……かしら」
「ええ……あなたたちは隠れていてね」
　紫の問いに、ロザリーは静かに頷く。姉妹を割れた鏡の影に隠し、仕込み傘を静かに抜き放つ。
「来ましたわ」
　迷宮にゾンビたちのうめき声が響いた。不気味に反響する声は、よく聞けば『trick or treat』と繰り返している。　　
「さあ、こちらよ」
　小さな子どもを誘う口調で、ロザリーは鏡に己の姿を映す。鏡に映し出されるゾンビの動きを読み、惑わされてうろうろおろおろするゾンビたちを分断する。
「ほら、こちら」
　鏡の間から細剣で突いて動きを止め、その間に別のゾンビの頭を裂く。いくつもの虚像の中からふわりとドレスを纏った本体を現し、至近距離からピストルで頭を撃ち抜く。
　鏡の迷宮中にロザリーの笑み含んだ静かな声が響く。
「……あら」
　その笑い声が、不意に途切れた。
「あらあら、まあ、だめよ」
　今の今まで聞こえていた笑い声がどこか切羽詰まった声に代わったことに、物陰に身を潜めていた蒼と紫は不安な視線を交わし合う。
　助けなくては、と立ち上がったのは紫。
「蒼はここに居て」
「嫌、お姉ちゃん」
「聞き分けて頂戴、蒼は逃げるのよ」
　悲鳴のような声を上げる蒼の頬を優しく撫でてライフルを託し、紫は稀跡から渡された短銃を手に鏡の間に踏み出す。
　怪しげな光に照らし出された鏡に映り込んだのは、
「だめだったら……！」
　紫にはぼろぼろのぬいぐるみにしか見えない『息子』を庇って抱き締め、細剣もピストルも投げ捨ててその場にうずくまるロザリーと、そのロザリーを囲みこもうとする数人のゾンビたちの姿。
「やめなさい……！」
　助けてくれたロザリーを助けるため、妹を逃がすため、紫は殊更に大きな声をあげてゾンビたちの前に飛び出す。
(蒼、今のうちよ)
　妹を逃がすためなら、『食べられる』ことも怖くない──