ねこの消えた日｜リアクション

ねこの消えた日

　本日『萩』と名を変えた小萩は、無数にいると信じてやまない『ファン』のことを思いやった結果、放課後は美術室に引きこもっていた。とはいえこの部屋は無人ではありえない。部活動のために集まっている者や、残って芸術科の課題を仕上げようとしている生徒で、それなりの人口密度を保っていた。
「みなさま、失礼します。萩もお邪魔させていただきます」
「あ、はい……どうぞ……」
「え、あ？　ども……」
人々の注目を集めすぎない程度に、細心の心配りで小萩は先客たちにあいさつをする。一人ひとりに目を向け、声をかける小萩のようすに、絵筆をもってきょとんとする生徒たち。彼らから帰ってくる返事は戸惑いを含んだものだった。
（ああっ！　さりげなくあいさつしたつもりですのに、また注目を集めてしまいました！　これだから人気者はいけません）
小萩は『目立たないように』人の少ない美術室の一角にキャンバスを置き、陣取った。
（はっ！　ここには萩しか生徒がいませんから、却って目立ってしまうかもしれません。でも仕方ないですね。萩は目立つ存在ですから……せめて、できるだけ静かにしていましょう）
静かに筆に絵の具を含ませ、色を置いていく。猛勉強した絵の腕前は……なかなかに独創的だ。
「それにしても今日のことは……もしかして、神様が萩に『俗世にとらわれることなく、芸術を極めるべし』と伝えようとしているのではないでしょうか」
ぺたり、ぺたり。情熱燃ゆる赤を置く。
「そのためには、アイドルの座を一度捨て、アーティスト萩となるのも一つの選択肢です」
ぺたり、ぺたり。冷徹なる決意を示す青を塗る。
「でっ、でも！」
小萩は青の筆を溶き油にどぼんと突っ込み、立ち上がった。がたりと言う音にぎょっとして学生たちが注目する。
「萩はファンのみなさんを裏切るなんてできません……！　決めました！」
衆人注目の中、小萩、いや、萩は宣言する。今この宣言をいちばん最初に聞いてくれる、同室のファンたちに感謝を！
「アーティスト萩は、今日でやめます！」
彼女にとっては、名前の頭の文字が落ちたぐらいどうということもなく、いたって平常運転なのだった。名前が小萩に戻っていることには、まだ気づいていない。

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