未来の寝子島にあなたはいますか？｜リアクション

未来の寝子島にあなたはいますか？

　清潔感が漂う待合室のソファーに八神修は不安げな顔で座っていた。膝の上には蒲鉾を大きくしたような形のケースがあった。中から弱々しい声で猫の鳴き声がする。
　修は屈むようにして顔を寄せた。
「ミルク、もう少しのがまんだよ。すぐにあおい先生が診てくれるから」
　震えるような鳴き声を返した。その後、安心したかのように静かになった。
　間もなくして名前を呼ばれ、修は診察室へと入っていった。
「今日はどうされましたか」
　あおいは白衣姿で微笑んだ。髪型はツインテールではなく、後ろに一束に纏められていた。
「実は今朝から猫のミルクの元気がなくて」
「それは心配ですね。では、診てみますね」
　修はあおいにケースを渡した。猫専用の台でミルクを取り出し、あおいは表情を和らげて触診を始めた。目の状態や口中の状態を確かめる。近くに控えていた助手に手短に伝えて採血を済ませた。
　血液検査の結果は診断の最中に出た。ミルクはケースに入れられて修に返された。
　あおいは相手を労わるような表情で言った。
「猫も高齢になると人間のように色々と具合が悪くなります。今回で言えば、特に問題はありませんでした。年齢による食欲の減退が原因として考えられます。念の為に食欲増進剤を出しておきますね」
「ありがとうございました。あの、診察室でする話ではないのですが、時間帯もちょうどいいと言いますか」
　修はあおいの様子をそれとなく窺う。微笑んだ状態で、やや首を傾けていた。
「一緒にランチはどうでしょうか」
「ご一緒させていただきます」
　あおいは笑顔で即答した。

　午後の診療を考えて、ランチは近場のレストランで済ませることになった。
　窓際のテーブルに二人は向かい合うように座る。間もなくして注文した品が運ばれてきた。
「これ、これ」
　笑顔のあおいの前に大ぶりのハンバーグが置かれた。熱された鉄板が香ばしい匂いを撒き散らす。
　修はカレードリア。サラダとコンソメスープが付いてきた。
「今日はありがとう。俺の誘いに応じてくれて」
「午前中は忙しくて朝食抜きだったから助かったよ。こちらこそ、ありがとう」
「急に十年前のあおいに戻ったみたいだ」
　修はプチトマトを一口にした。あおいは切り分けたハンバーグを口に入れた。笑顔で味を噛み締める。
「獣医師だから、それっぽい態度も見せないと。それにしても修君と会うのは久しぶりだね。みんなから聞いたよ、八神先生」
「噂が広まるのが早いな」
「で、どうなの？　やっぱり内科医って忙しい？」
　あおいはわくわくした顔で聞いてきた。口元に付いたソースをぺろりと舐めて顔を寄せる。
「内科医としては普通かな。研究の方が忙しくて。現在、力を入れているのは脳で、神経伝達物質を今以上にスムーズに受け渡せるようにする方法を模索しているんだ。成功すれば汎用性が高く、難治性疾患治療の開発に大いに役立つと思う」
「どこにいても修君だね！」
「それは褒め言葉と受け取ってもいいんだよね」
「もちろん！　あ、今って本土の病院にいるって聞いたけど。島の滞在はどれくらいなの？」
　青く澄んだ瞳で聞いてきた。修は安心させるような笑みを浮かべる。
「今日を入れて二日だよ。あおいに前に話した星ヶ丘のマンションの最上階を別荘の代わりに使っている。ミルク以外の猫達も一緒だよ。寿命で亡くなった子もいるけど、あとから増えたりもして数は変わってない」
「そうなんだ。会ってみたいなぁ。獣医じゃなくて、ただの猫好きとして」
「みんなも喜ぶよ。俺も嬉しい」
「じゃあ、今日の仕事が終わったら、遊びに行こうかな」
「……それって、泊まったりとか」
　修は声を潜めて言った。あおいは残ったハンバーグを口の中に押し込み、満面の笑みで食べていた。
「まあ、いいか」
　修は喉元を摩りながらコンソメスープを飲んだ。