未来の寝子島にあなたはいますか？｜リアクション

未来の寝子島にあなたはいますか？

　落合まゆらは声優として大きく羽ばたいた。並行して舞台にも立ち、迫真の演技で観客を魅了した。優れた容姿が何人かのスカウトの目に留まり、現在ではモデルとしても活躍していた。
　まゆらは久しぶりに寝子島に帰ってきた。母校となる寝子島アニメーション学院にゲスト講師として招かれたのだ。
「明るく真面目にやらないとね」
　声優科の教室の手前で気合を入れ直し、颯爽と中に入っていった。紺色のパンツスーツ姿で軽やかに教壇に立った。
　生徒達は熱烈な歓声で迎えてくれた。まゆらは照れ笑いを浮かべながらも講師らしい一面を見せる。
「今日は声優としてではなくて、講師として授業をするつもりよ。少し難しい話をするかもしれないけど、がんばって付いてきてね。ということで短い間だけどよろしくね！」
　ウインクで締め括った。拍手が収まると表情を引き締めた。
　用意されたホワイトボードに声優の心得や技術を項目として書き出していく。順番に説明を加えて適宜、実演で補強した。授業の緊張感を保つ為、多くの生徒を指名した。現場で使われた台本を教材として、その場でアテレコの指導に当たる。
　生徒達は神妙な顔で聞き入る。要点を纏めてノートに書き込み、静かな熱意を燃やした。
　濃密な時間が過ぎていく。ホワイトボードに残された項目は一つとなった。生徒達の目の輝きが強くなる。
「最後はおまけ的なものだけど、した方がいいのかな」
「もちろんですよ！」
「してください！」
　強い意志を含んだ声が方々から飛んできた。まゆらはにこやかな顔で姿勢を正した。
「じゃあ、質問があれば」
「はい、質問です！」
　ツインテールの女子が立ち上がると同時に手を挙げた。
「質問をどうぞ」
「去年の作品を観ました！　リブート版の『魔法少女ミスティックアリア』が最高に素敵で続編を楽しみにしています！」
　女子は小鼻を膨らませて言った。まゆらは困ったような笑みを浮かべた。
「ありがとう。肝心の質問がないみたいなんだけど」
「そうでした！　アリアの現場であったことを教えてください！　オフレコの時とか」
「まあ、いろいろあったわ。アリアは出世作で個人的に思い入れが強く、主役は長年の夢だったから。アフレコの現場なんだけど、緊張の連続だったわ。大御所に挟まれた中で台本を読む訳だから、もう、冷や汗がダラダラよ」
　生徒達から笑いが起こる。
「アリアは必殺技で叫ぶことが多くて。大御所に挟まれた状態で『ミスティック・スプラアアーアッシュッッ！』って叫ぶのは勇気がいるわ。声が小さいって監督に怒られて何回も録り直しになって、汗のダラダラが止まらなくなったわよ」
　二度目の笑いで大いに盛り上がった。

　役目を果たしたまゆらは最寄りの駅へと向かう。その途中で足を止めた。
「東京に戻る前に」
　くるりと向きを変えた。もう一つの母校、寝子島高校へと足を速めた。
「変わらないね」
　第一グラウンドでは陸上部が練習に精を出していた。奥にある第二グラウンドでは野球部員が厳しいノックを受けていた。
「青春よね～」
　校舎にまで足を伸ばす。来客用のスリッパに穿き替えて歩いていると、あら？　と軽い驚きを含んだ声を掛けられた。
　年齢を重ねても色褪せることがない肉体美を誇る。フジコ先生がきびきびとした動きでやってきた。
「珍しいところであったわね」
「お久しぶりです、という感じはしないですが。この間も舞台で共演したばかりですし」
「そうね。落合ちゃんの演技には目を見張るものがあるわ。『ちゃん』付けは大人の女性には相応しくないかしら」
　フジコ先生は柔らかい笑みで口を閉ざす。
「年齢に関係なく、いつまでも恩師ですから」
「あら、嬉しいことを言ってくれるじゃない。昔とは違って精神的にも大人になったようね。当時のあなたときたら――」
　二人は昔話に花を咲かせた。先生と生徒に戻って十年の時を遡ってゆく。