富士山登ろう！　夏の林間学校！｜リアクション

富士山登ろう！　夏の林間学校！

【観光しようぜ！（１）】

　時は戻って、富士山五合目。登山に挑む仲間たちを見送ると、柳内みことはひとつ大きく息を吸い込み、吐き出しました。
「ふう。この清涼な空気……呼吸をすれば、肺まで浄化されそうですわね」
　ちょっぴり大げさな表現にも思えますけれど、五合目だって標高にして２３００メートルを越えています。空気は澄んで、心地良いのです。
　みことを始め、富士山を登らない面々は、周辺で自由観光となっています。登らなくたって、富士山を満喫することはできるのです。
　まずは、家族へのお土産を購入することにします。五合目には大きなレストハウスがあり、土産物も実に充実しているのだとか。
「このペナント……購入者がいるものでしょうか」
　お土産の定番なご当地ペナントを手に取り、みことはかすかに眉をひそめます。
　けれど、
「父のお土産はこれにしましょう」
　少々頭の固いところがあり、好みも渋いところを突いている父ですから、こういうベタなものが喜ばれるかもしれません。
　自分にはガラス細工の繊細で美しいオルゴールをチョイスして購入、レストハウスを出たところで。
「あら……？」
　なにやらスケッチブックを広げている少女が目に入り、みことはふと興味を惹かれました。
　なんとはなしに近づいてみると、
「まあ。綺麗！」
「うん？　ああ、そうだろうとも。山頂まで登らずとも、この五合目から見える景色もまた、美しいのだ」
　さらさらさらりとペンを走らせているのは、旅鴉月詠でした。
　月詠は不意にみことを振り返り、言いました。
「空気が薄いのもまた風情だよね。ところで、富士五合目・奥庭自然公園を知っているかい」
「あら。ここには自然公園があるんですの？」
　五合目はまだ緑が豊富で、奥庭自然公園は絶好の自然観察スポットとして知られています。
「今から、そこへスケッチに向かうつもりだよ。良かったら、案内しようか」
　いささかぼんやりとして見えるお嬢さま、みことの単独行動を心配したのか。あるいは、月詠特有の単なる気まぐれかもしれません。
　月詠がそんなふうに提案すると、
「なるほど。面白そうですわね」
　せっかくの自由時間ですから、有意義な過ごし方をしたいところです。みことは微笑み、うなずきました。

　忍野八海とは、富士山を源流とする著名な湧水地です。富士山に冠を下ろした雪が溶け、地下へと染み入り、およそ二十年もの歳月をかけて濾過された後、やがて湧き水となって泉を形作っているのです。
　そんな自然の営みの壮大なスケールを実感しながら、御巫時子は夢心地。出口池に始まり、御釜池、底抜池、銚子池ときて、八海のひとつである湧池のほとりを今、ゆっくりと歩いています。
「ああ、水が綺麗ですね。底まで覗けてしまいそうです」
「はい……本当に」
　時子の胸の高鳴りは、もちろん目の前の澄み切った泉や、風にたなびく樹々の風情や、空の青さや深さによるものだけではありません。
　隣に、五十嵐尚輝先生がいる。それがどれほど、時子に幸福を実感させてくれることか。
「この湧池は、八海の中でも水量がもっとも多いそうですね。中には水中洞窟もあるんだとか」
「そうなんですか。神秘的な場所ですね……どの池も透きとおって綺麗です」
　暑さも和らぐ気がしますね、と時子が言えば、尚輝先生もこくりとうなずいてくれました。
「あちらに、汲んで飲める湧き水があるんだそうです。汲んでいっていいですか……？」
「もちろん」
　湧き水を持ち帰って、帰りを待つヨタカさんと雷鶏さん、つまりいっしょに暮らす鳥たちと、その清涼さを少しでも分かち合うつもりです。
　水筒を取り出し、時子が湧き水を汲もうとした……その時に。
「あ……っ」
「おっと、危ない」
　よろけた時子の肩を、はっしと受け止めた尚輝先生。さらと流れた前髪の向こうに、一瞬覗いた黒い瞳。
「大丈夫ですか？　御巫さん」
「……はい……」
　とくん。ひと際に、時子の胸は弾みました。