とある教室に、私物を没収された四人の女子生徒が集まっていた。
　どうにか取り返そうと意気投合して成り行きで集まったはいいものの、具体的な策が出ないままただの愚痴大会になりつつある。
「あーもー、ホンマにあの鬼熊！　女の子の私物取り上げるとか頭沸いとるんちゃうか！？」
　バンバンと机を叩いて声を上げたのは四野辺 蘭月である。普段はキュートな関西弁も、今は怒りに任せて苛烈さが増している。
「だよねー！　化粧品も花札も卓上麻雀セットも取られちゃって、もうあたしの鞄なんてすっからかんだし！」
　四野辺に同調するように頷いたのは知吹 しぶきであった。没収されたものが明らかに女の子の私物とは思えないのだが、今はそんなツッコミを入れている場合ではない。
「でも、本当に取り返せるんでしょうか」
　二人とは打って変わって静かな声音で言ったのは、東雲 人里だ。
　彼女が没収されたのは、バイト先のカフェの花壇に植えるつもりだった野菜の種であった。普段は家に帰ってからバイトへ向かうのだが、今日はたまたま寄る場所があったため学校に種を持ってきていたのだ。
　東雲の種が没収されたときは、さすがに教室中から「野菜の種くらい見逃してやれよ！」「バイトで使うんだぞ！」とブーイングが巻き起こったものの、そういう声があがればあがるほど取り上げる側も引っ込みがつかなくなるものである。結局「……ダメだ」という吉田の葛藤したような一声のもと取り上げられてしまったのだった。
「取り返さないとですよ！　じゃないと、こうしてる間にも義弘先生のズボンが破けちゃってたら……！」
　東雲の言葉に、宮祀 智瑜は頬を両手で押さえてあわあわと焦った様子で言葉を返した。
「だ、大丈夫ですよ智瑜さん。ズボンはそんなに簡単に破けませんって」
　同じクラスの東雲が、彼女を落ち着かせるように言う。
　宮祀は裁縫セットを没収されていた。裁縫セットは乙女の身だしなみの一つである。むしろ所持していることを褒めるべきアイテムですらあるのに、吉田はクマなのでどうやらその辺りを理解できなかったようだ。
　……もっとも、彼女が裁縫セットを持ち歩いているのは、ごくまれに破れている桐島のズボンのお尻の部分を縫ってあげるためなのであるが。
「恋する乙女の純情まで没収するなんてありえへんわ」
「えっ、いや、恋とかそんな……」
「あ、照れてる！　かーわいー！」
　きゃっきゃと四人が盛り上がっているとき、教室の扉ががらりと開いた。
「待たせたな。思いのほか先生と長く話してしまって」
　入ってきたのは、職員室の様子を伺いに向かっていた旅鴉 月詠だった。
　没収されて愚痴をこぼしていた彼女たち四人に、旅鴉は興味本位で協力を申し出たのであった。先ほど職員室を訪れていたのも、現状を把握する偵察のためである。
「あ、月詠さん！　お帰りなさい。職員室はどうでした？」
　歩み寄る宮祀に、旅鴉はいつもと変わらない落ち着いた声音で返す。
「教師は島岡先生と五十嵐先生、それに若杉先生しかいなかった」
「それならなんとかなりそうね。雪乃ちゃんせんせーなら、話せば分かってくれそうだし！」
　ぐっと拳を握って知吹が嬉しそうに言う、が、旅鴉は小さく首を振った。
「いや、先生たちだけならどうにかなりそうなんだが、御剣と宮田と八神も職員室にいるんだ」
「御剣くんが？」
　同じ一組の級友であり、バイト先も同じである東雲が首を傾げて言った。
「ああ。しかもロッカーを見張っている様子だったな。先生たちはともかく、彼の目をかいくぐるのは難しそうだ」
　そこで、と旅鴉は改まった調子で言った。
「君たちには各先生、特に島岡先生の近くにいる御剣たちの気を引いてもらいたいんだ」
　旅鴉の言葉に、四野辺がにっと笑って言葉を返す。
「へえ、おもろそうやん。じゃーあたしは島岡せんせーのとこに行くわ」
「あ、それなら私も島岡先生がいいです。担任の先生ですし」
　四野辺に続くように、宮祀も小さく手を上げて名乗り出た。
「あとの二人は、それぞれ五十嵐先生と若杉先生をマークしてもらっていいかな？」
　旅鴉の言葉にうなずく東雲。
「じゃあ、私は若杉先生のところに行きますね。ちょうど聞きたい問題もありましたし」
　東雲は鞄の中から若杉が担当している社会の教材を引っ張り出してページを開く。
　その横で、知吹がううーと唸るような声を上げた。
「んー、五十嵐先生のことはしぶきちゃんちょっとよく分かんないけど……うん、でもがんばる！」
　これで役割分担は決まった。
「……で、旅鴉ちゃんはどないすんの？」
　四野辺の言葉に、三人の視線が旅鴉へと向けられる。
　彼女たちの顔をゆっくり見回しながら、旅鴉は小さく頷いて言った。
　私が段ボールをなんとかする、と。


　五人一緒に固まって職員室へ突撃しても不自然だということで、まずは四野辺と宮祀が向かうことになった。
「失礼しまーす！」
　扉を開けると、そこには確かに三人の先生と、島岡のデスクで談笑する三人の男子生徒の姿が見える。
「あくまでも自然に、やで」
「はい。自然に、自然に……」
　四野辺の言葉に力強く頷く宮祀だったが、さりげなさを出そうとすればするほど体が強張ってしまう。島岡のデスクへと歩いていく二人だったが、島岡の近くまで来たところで宮祀は床に蹴つまづいて前のめりにバランスを崩してしまった。
「きゃっ！」
「みっ、宮祀さん！？」
　よろめいた宮祀はそのまま椅子に座る島岡の方へ派手に倒れ込み、島岡はとっさに両手を広げて彼女を抱きとめた。
　やわらかい、実にやわらかい衝撃が宮祀を優しく受け止める。しばらく呆然としていたが、それが何なのか気づいた彼女は、慌てて身を離して立ち上がった。
「す、すみません先生……！」
「いいんですよ、宮祀さん。どこかぶつけませんでした？」
　心配そうに尋ねてくる島岡に、いえおかげさまで……と頬を染めつつ小さく口にする宮祀。
　そんな彼女に、四野辺は心配と呆れを混ぜたような顔でため息をついた。
「なんで平坦な道でコケんねん、びっくりしたわ。……えーと、せんせー、分からないとこ教えてほしいんやけど」
　そう言いながら、四野辺はテキストを手にちらりと男子生徒たちの方に顔を向けた。彼女の視線に、あ、俺たちは大丈夫だから、と宮田がさわやかな笑顔で言う。
「どこでしょう？　……あら、結構難しい問題ですね」
「もー文法とか単語とか訳わからへん！　なんか英語のコツとかってないんー？」
　英語は得意科目だったからこそ、四野辺は複雑で時間のかかりそうな問題をあえて選んで持ってきていた。見るからに難しそうな問題に、興味本位で覗き込んだ御剣はうげっと小さく声をあげる。
「英語のコツ？　それなら俺もぜひ教えてほしいです」
　四野辺の言葉に、八神 修もかすかに目を輝かせながら言った。
　二人の生徒に期待の眼差しで見つめられ、えーっと、と島岡は考えるような表情を浮かべる。
「そうですねぇ。まずは単語の暗記でしょうか。単語さえ覚えれば、文法が分からなくてもある程度は理解できるようになりますよ」
「その単語が覚えられへんもーん！」
　島岡のごくごくまっとうなアドバイスに、頭を抱える四野辺。
「でも四野辺さん、いっつも英語はいい点数じゃないですか」
「英語とかフィーリングやん。なんとなくで解けるで」
「……それはそれですごいな」
　あっけらかんと言う四野辺に、八神は苦笑しながら言った。実直な彼にとって、型破りな勉強法はそれはそれで魅力的であった。
「あ、そう言えば先生は留学とかってしたことあるんですか？　英語の発音すごくきれいですよね」
　思いついたような宮祀の質問に、他の生徒たちも興味を持ったように島岡を見る。先生のプライベートというものは意外と気になるのだ。
「えっと、留学というほど長いものではありませんが、短期のプログラムならよく参加してましたねぇ」
「へえ、どんな国ですか？　オーストラリアとか？」
　宮祀の質問を皮切りに、男子生徒たちも交えて会話は盛り上がっていく。
　はじめは気を引くという名目であったが、四野辺も宮祀も純粋に会話を楽しんであれこれと聞いていくのであった。