茜空の向こう側｜リアクション

茜空の向こう側

◆「誰か」との邂逅

　霧谷朧の耳を掠めたのは聞いたことの有る童唄。
　幼子が歌う物ではなく、どちらかと言えば聞かせる側のような落ち着いた声色が聞こえる。
　呼ばれている気がして躊躇わずその先を求めた。
　壁に映えた橙色の世界。これが今日の舞台。

（…なんか不思議なことに巻き込まれる縁でもあんのかねぇ？）

　不思議なことにすっかり慣れている朧に恐怖は何もない。
　一旦途切れた音を辿って歩く。
　また、微かに届く。
「いったい誰が歌ってるんよ？」
　誘うような、それでいて探してほしいとも取れるような。
　遠い記憶に、聞いたことが有るような懐かしい音。
　ふらりふらりと音の鳴る方を頼りに彷徨っていく。

　そんな朧の目に映ったのは、幼子に童唄を聞かせる着物姿の男性だった。
「……もしかしてアンタ？」
　返答は唄で返る。
　声は先程耳に届いたものと同じで、尋ねるまでもなかった。
　その内に近くにいた子供たちの方が朧へ寄ってくる。
　子供に好かれる朧はただ、幼子たちに誘われる。
『一緒にあそぼ』
　可愛い要求を聞き入れ、前髪を上げた。
　ただ、ひとつだけ。
　心配ごとを宿した朧は一瞬だけ男性を見る。
　人と向き合うのが苦手な朧。子供以外の視線はどうしても気になる。
　けれどそんな朧の心内を悟ったように、男性は優しく視線を逸らしてくれた。
　まるで視線を気にしなくても良いように配慮してくれているように。
「じゃ、一緒に遊ぶんよ」
「わーい！」
　子供たちの無邪気な笑い声と、男性の童唄が辺りを彩る。
　息が切れるまで付き合った後は、男性への警戒心も心なし解けていて。
　視線を合わせないのは変わらず。
　男性もまた、無理に覗きこむことはしなかった。　　
「そういえばよく暗くなるまで施設の仲間と遊んでたっけ……」
「僕も、幼い頃はよく空が暮れるまで遊んだものだ。そう、今日みたいにね」
　幼き日の思い出。
　皆で走り回った鬼ごっこ。
　さいごまで楽しむかくれんぼ。どれも懐かしい。
「みんなは今どうしてんだろうな…幸せに暮らせてるといいな……」
　隣で頷きが返ったのだけが視界の片隅に映る。
　話を重ねることはあっても、男性が質問をしてくることはない。
　代わりに質問は、子供たちが連ねた。
　答えれば無邪気に笑い、また朧と男性の目の前で遊び始める。
　無垢で、全力で、疲れを知らない子供の姿を見ながら浸るのも悪くはない。
　それでも。
「さて、いつまでもここにいるわけには行かないんよ」
　ここは心地良い世界ではあるけれど。
　遅くなると口うるさい宛もある。土産話だって出来た。
　あとは、もう帰るだけだと思えば、同時に実感する。
　自らの居場所はちゃんと存在していて、帰りを待ってる人が居る。

（ただいま、おかえりって言えるのはやっぱ嬉しいことなんよ）

　些細だけど、大切なこと。大切な言葉。
　いつもより深く朧の心に染みる。
「一緒に帰ろう」
　腰を上げ、子供たちに手を差し伸べて、各手にひとりずつ子供の手を握った。
　この子たちもまた、ここに誘われた子たちなのだろうから。
「あんたも帰るん？」
「僕はまだ散歩してから帰るよ、その子たちを宜しく頼むね」
　任されたと頷いて、あゆみ出して数歩。朧が顔だけをやや後ろに向けて。
「面白い世界だしまた来させてくれよ？」
　ここがアンタの世界なら、そう告げるけれど。
「君が来たいと思うなら、もしかしたら」
　男性の返事は連れない、掴みどころのないもの。
　僕は巻き込まれただけだよ、なんて嘘か本当かわからない浮いた物言いが響く。
「そっか」
　簡易に返事をして、それ以上はもう聞かない。
　ただ、歩くごとに思うことも有る。
　彼が誰だったのか。
　何者だったのか。

　名前さえ聞かぬまま、懐かしいような時間は過ぎ去った。
　ただ、朧の背で童唄が響く。
　鈴の音と一緒に。