茜空の向こう側｜リアクション

茜空の向こう側

◆自らの手で

　エレノア・エインズワースが迷い込んだのはシーサイドタウンの桜台墓地。
　けれど自分の識るその場所とは少し違って、やけに広く感じるのだ。
　そもそも先程までは長い長い階段を下りていたはず。
　心の深層へ降りていくような不思議な感覚も、つい先程の事。
　なのに今下りてきたはずの階段は、もうそこには存在していなかった。
　ただあったのは灯りと、霧ががったような多分道であったろう場所。

　帰り道にはとても見えない。
　帰れないかもしれない。

　けれど今の彼女にはそんなものはどうでも良かったのだ。
　それよりも心で燻るのは――過去の自分の幻影。
　あの日、幼児化現象に巻き込まれてから、どうもそれに振り回されている気がして。
　許さない。『過去の私』如きに心は侵させまいと、エレノアの眼が鈍く光る。
「……そんな奴殺してやる」
　例えそれが自分自身だとしても。
　ぽつりと零れた言の葉が広い墓地に融ける。

　過去の自身の在り方など関係ない、頭は識っている筈なのに。
　それでもかき乱される心は落ちつかない。
　焦れるだけの気持ちが募るだけ。そこに在り続けて、それだけ。
　消えないもやに、吐き気さえあるのに。消えない。
　――ああ、いっそ。
　殺せるものなら殺してしまいたいと、願いにも似た。
　得たものはきっと直感でしか無い。
　脈略も何も無い、ただ感じるのだ。
『此処』に『過去の私』がいる気がする、と。
　豪奢なドレスに包まれ、出来損ないの笑みを浮かべ、そして首輪を付けられていた忌むべき過去の自分。
　灯りは闇に仄かに浮かぶものだけ。
　正直、ここでかくれんぼをするには些か――。
（……骨が折れるでしょうね、）
　それでもほら、見つけなきゃ。
　見つけなきゃ。

「殺せないものね」

　エレノアはまた笑う。いや、嗤ったのか。
　直感から始まるのなら、直感に従って探すだけ。
　見つけた影を追いかけていれば。
　くす。くす。
　笑い声が漏れる。
　それは自分のものだったのか、影だったのか。
　きっとそんな事はどうでも良かった。
　確実に影との距離が近くなっている気がする、それだけで良かった。
　だってほら。

「みつけた」

　足払いをかけ、その豪華なドレスを引っ張り、倒して。
　バッグに入った水鉄砲で水を撒き、その水を視界に入れる。
　ろっこん――ネヴァー・パーツ・ラヴァーズ。
　水は乾く前に、強力な粘着力を持つ液体になる。
　そう塞いでしまえばいい。
　口も、記憶も、全部。
　自らの手で奪えば『記憶』は自らの手から離れ、鑑賞することのない『記録』になる。
　エレノアは確信していた。
　信じて疑って居なかった。
　塞がれた口、『私』の抵抗はない。
　受け入れるように只、ふわりと、笑んで。
　捕まった『私』は私の手にかかってそして消えていく。
　同時に何処か落ち着いた様な心。
　――大丈夫、と。
　誰かが耳許で、何かが聞こえた気がした。
　振り返ったエレノアの視線の先、佇んでいたのは来た時と同じ階段。
　晴れた心を携えて今度は、登っていく。

　この先にあるのはきっと――かえりみち。