茜空の向こう側｜リアクション

茜空の向こう側

◆変わらない仕草

　夕暮れは思い出の色。
（……最後に会ったのもこんな夕暮れだった、）
　赤々と燃ゆる橙に宇佐見望月が思い出していたのは、ある故人のことだった。
　本人曰く、すっとこどっこいな兄ちゃん。
　彼はもう思い出の人間で、手の届く所には居ない。

『にーちゃんのバカ！　にーちゃんなんて滑って転んでおっぴっきゅーだ！』

　あの時、自らの放った言葉が望月の頭を過る。
　思えばただの喧嘩だった。
　理由はを思い出してみるも、
「……思い出せないな」
　忘却の果てに消えた記憶に、ため息を一つ落とす。
　記憶に無いくらい些細な事だったのか、忘れたいくらいのものだったのか。
　答えは降らない。
　唯一つ確かなのは、言葉を交わす間もなく、兄と慕っていたその人間が帰らぬ人になったこと。
　マタ大研究室の野外調査で山に石取りに行き、滑落事故でその命を落とした。
　望月は心の中で引っ掛けたままでいる。
　自分があんなことを言わなければ――なんて、それはもしもの話でしか無いと解っているけれど。　
（今思い出しても笑えネェ冗談だぜ……）
　下を向く。
　続く地面だけを見て、歩いて、ため息一つ。

　　
　鈴の音が耳を掠めて、反射のように顔を上げれた望月の前に居たのは……。
「……兄ちゃん！？」
　そう、たった今思い出の中にいた兄――宇佐見十六夜。
　居るはずのない、けれどそこにいるのは紛れもなくその人だった。
「よ、なんか辛気臭ぇ顔してんな、似合わねぇぞ」
　目の前の人物にくしゃくしゃと頭を雑に撫でられて、呆然としていた望月はハッとした。
「何でここにいるんだよ！」
「ごふっ」
　裏拳でツッコミ。
　結果。うっかり急所だったらしく、目の前の人物は情けない声を漏らした。
「なぁんだ、元気そうじゃねぇの。辛気臭いのは何処行ったんだろうなぁ？」
「やめろ、抱きつく、な！　俺様兄ちゃんのそういう所が嫌いなんだっつーの」
　その手を振り払うも、兄は「はいはい」と掴みどころ無く軽く笑うだけ。
　変わらない、何も。
「で、お前は元気でやってんのか？」　　
　ふざけてるかと思えば急に兄の顔。
「俺様寝子高に無事入ったぜ、保健委員もやってるよ、陸上でハンマーも投げてる……」
　戸惑いは逸らした視線に沈めて、現状をぽつぽつ語る。
「姪っ子も普通科１年に入学してるし、結構楽しく……騒がしくか、高校生活してるよ」
「ホント、元気そうだなお前ら」
　懐かしむような顔に望月の胸は少しだけ痛む。
「兄ちゃんが死んだあと色々あってさ……」
　伝えていく。
　追いかける様に父と母が亡くなったこと。
　残った店は姉が継いでいること。
　そんな姉を見ながら望月は心に秘めたことがあることも。
「なあ兄ちゃん、俺様スポーツ関係の仕事に就きたいんだけど大丈夫かな？」
　書道を諦めた姉を置いて、自分がこんなことを思うのはいいのか。
　自分では答えが出せず、ぽつりと零した。
「アイツはお前の夢に不満なんて持たね―だろうが、答えを出すのはお前だ」
「……俺様？」
「若者は悩め、存分にな」
　ぽすりと頭に手が置かれて、また雑に撫でられる。
　文句を言う前には手が離れ、くすりと笑う兄が手をひらひらとさせていた。
　懐かしい仕草。
　気が付けばもう居ない、掴みどころの無さも。
（全く、ホント変わってねーの）
　それでも耳に届いた言葉は「頑張れよ」なんて、狡い、言葉。

　頭には今も、雑に頭を撫でたあの手の感覚だけが残っていた。

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