メリーさんのホラハウス、なの｜リアクション

メリーさんのホラハウス、なの

　朝方、旧市街を岡瀬靖久が軽快に走る。半袖の臙脂のシャツは汗で肉体に貼り付き、均整の取れた筋肉を浮き上がらせていた。黒いハーフパンツは伸縮性に優れ、滑らかな動作を可能にした。
　参道商店街に入って緩やかに速度を落とす。
「爽快な気分をどうぞなのー」
　靖久は足を止めた。眼鏡の中央を中指で押し上げて横手を見やる。
　とんがり帽子を被った少女が無表情でスキップをしていた。羽織っていたマントの裾が翻る。その奥の建物は見る者に不吉な印象を与える洋館であった。
　――少し早いと思うが、ハロウィンの宣伝かな。
　靖久が道に向き直ると目の前に少女がいた。
「え、さっきはあそこに……」
　洋館の前には誰もいない。瞬間移動をしたかのように少女が立ち塞がる。
「寄っていくの。今なら無料なの」
「ランニングのあとだから。ほら、大量の汗をかいているのはわかるよね」
「問題ないの。強面が細かいことを気にしたらダメなの」
　少女は無表情で詰め寄る。靖久は圧力で洋館の方へと押しやられた。
「わかったよ。えっと君は？」
「メリーさんなの。ナイスバディ―の看板娘なの」
「メリーさんか。僕は岡瀬靖久、強面の心優しいダンサーだよ」
　頷いたメリーさんは洋館の扉を開けた。
「どうぞなの」
「では遠慮なく」
　表情を変えずに一歩を踏み出した。

　光景は一変した。朽ちた墓石が周辺に広がる。夥しい鮮血を浴びたように赤い。
　靖久は瞬時に空を見た。今にも血の雨が滴ってきそうな色に身震いが起こる。
　風の音を耳にした。とても低い。重々しい唸り声を想像させた。
「こ、ここは……どこかな？」
　硬直した身体で靖久は隣に目を移す。メリーさんはぴょんと跳ねる。
「キャーなの、キャーなの」
　無表情でスキップを始める。
「ぼ、僕から離れないで。なんとか、するから」
　引き攣った顔で靖久は言った。
　――何か出そう。いや、怖がっている場合じゃない。大人の僕が彼女を守ってあげないと。
　掌に人差し指で人と書いた。三回を超えて飲み込む。
「メリーさん？」
　気付いた時には姿が見えなくなっていた。怯えた様子ながらも墓石の裏を見て回った。
　風の音が強まる。はっきりとした唸り声となって靖久を取り囲む。
「な、なんでしょうか、皆さん」
　声が震えた。奥歯がカチカチと鳴った。
　襤褸を纏った死人達がにじり寄る。墓石を押し上げて次々と這い出てきた。
「あ、あの、ぼ、僕は、その」
　全身の震えが大きくなり、言葉がとぎれとぎれとなった。
　無数の死人が揺れながら向かってくる。虚のような口を開けて唸り声を上げていた。
「と、通りすがりのダンサーです！　お、お邪魔しました！　安らかにお眠りください！」
　早足で離脱を試みる。先回りするかのように新たな死人が行く手を阻む。靖久はダンスのステップを刻むように向きを変え、時に競歩の選手となった。
　死人は無限に湧いて出る。眼窩から蛇を垂らした者が靖久の肩に指を掛けた。強引に肩の力で引き千切る。
「あー、急に走りたくなったなー！」
　言葉に出す前に走っていた。周囲の死人を全力で振り切った。
　その先には大鎌を携えた死神が待ち構えていた。柄を両手で握り、斜め上に振り被る。
「は、ははは、はははは！　武器は反則じゃん！」
　笑うしかなかった。命を刈り取る凶器が振り下ろされた。

　靖久は目を見開いて立ち尽くす。口が僅かに開いていた。
「……ここは」
　目の前に不気味な洋館が聳えていた。
　急いで左の肩に手を当てる。斬られてはいなかった。
　傍らにはメリーさんがいた。
「涼しくなったの」
「涼しいというか……肝が冷えたかな」
「夏らしい反応をありがとうなの」
　メリーさんはお辞儀をした。
　靖久は強張りの残る顔で軽く手を挙げた。
「僕はこれで」
　星ヶ丘に向かって走り出す。
　――家族に会いたい。僕は戻ってきた。生還したんだ。
　涙目の全力疾走となった。

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