夢の続き｜リアクション

夢の続き

　ウインドブレーカーを着た新田亮が旧市街で走り込みを行なっていた。その途中で突然に足を止めた。見慣れない建物に不信感を抱く。
「昨日までは、なかったはずだが」
　厳しい表情で銀色の扉と向き合った。表情に決意を滲ませて中へと踏み入った。

　亮は背中を押された。大勢の人と共に電車に乗り込む。反対側のドアに押し込まれ、満足に身動きが取れない状態で気が付いた。服装は一変して背広を着ていた。硝子に映る自身の顔は大人びて見える。
　――どういうことだ、これは。
　電車は動き出す。街並みが急速に流れていく。
　――ポケットに振動が。
　亮は動く右手を背広のポケットに入れた。スマートフォンを掴み取り、届いたメールの内容に目を通す。
　僅かに身体が震えた。
　――俺はプロボクサーなのか？　今日の午後、日本チャンピオンと試合が組まれているだと！？
　その時、電車内にアナウンスが流れた。人身事故により、次の駅で停車する旨を伝えてきた。
　電車は駅に停車した。乗客がホームに流れ出る。その中には亮の姿もあった。人波を掻き分けて階段を駆け上がる。
　――試合会場は次の駅じゃないか！
　逸早く改札を抜けた。コンコースのタクシー乗り場に目がいく。既に長蛇の列が出来ていた。バスも同じで即座に諦めた。
　亮は次の駅に続く道をひた走る。
　身体は驚く程に軽い。息も切れない。
　――この力、未来の俺なのか。これなら時間に間に合う。
　確信を持った直後、複数の怒号が聞こえてきた。声の方を見やる。金髪と茶髪の若者が道端で中年男性に絡んでいた。ネクタイを掴まれ、金を出せ、と脅されていた。弱々しい言葉で断る男性に金髪の若者が頭突きを入れた。眉尻の辺りが切れて赤い血が滴る。
　亮の速度が落ちた。
　――俺なら助けられる。しかし、試合の時間には遅れてジムの会長やトレーナーに迷惑が掛かる。ファンにも申し訳ない。
　だから俺は……。

　控室のベンチに亮は仰向けの姿でいた。右の瞼は赤黒く腫れていた。唇の端が切れて赤い血が滲んでいる。
　会長は掛ける言葉が見つからないのか。トレーナーや他のジムの者に耳打ちして控室を出ていった。
　亮は一人、天井を眺めていた。
　――俺は見捨てられなかった。男性を助けて会場に急いだが、間に合わなかった。
　主催者側の尽力で試合はできた。
「……惨敗だ」
　ぽつりと口から零れた。
　――軽かった身体が急に重くなった。俺のパンチが相手に当たらない。何回も空を切った。グローブまで重くなって、俺は散々に打たれた。
　チャンピオンのパンチ、重かったな。頭の芯まで痺れた。マットは冷たくて、気持ちが良くて、深い眠りに落ちそうになった。
　亮は瞼を閉じた。緩やかな深呼吸を繰り返す。
　上体を起こして立ち上がる。長机に置いてあった背広を無造作に肩に引っ掛けた。
「俺ってヤツは」
　笑みが浮かんだ。慌てて口元を手で押さえる。
「痛いんだから、やめろよ」
　自身に言い聞かして控室を後にした。

　亮は目を見開いた。見慣れた旧市街に驚きつつ、右の瞼を指の腹で触る。
　――腫れていない。ウインドブレーカーだし、俺は戻ってきたのか。
　周囲に目を向けながら歩き始める。
　――俺は試合に負けた。何故なのか。悔しさや後悔はほとんどない。
　更に記憶を遡る。力を求めた根源と向き合った。
　――幼少時代、謂れのない暴力を受けた。肉体を鍛える切っ掛けにはなった。俺は連中に遣り返した。爽快感はあまりなかったな。ただ、他にも虐げられていた者がいて俺はとても感謝された。
「……そうか」
　亮は拳を握った。右ストレートを放つ。
　――力を求めたのは自分の為ではなかった。悪事を働く連中を許せなかっただけだ。
　俺はこの力で平和を守りたいと思っているんだ。
　亮はフットワークを使い始めた。軽い左のジャブから左右のフックに繋げ、最後に右のアッパーを空に向かって突き上げた。
「もう少し走るか」
　迷いのない目で亮は走り出した。