夢の続き｜リアクション

夢の続き

　青空が束の間の青春を呼び戻した。岡瀬靖久は黒いトレーニングウェアに着替え、星ヶ丘のマンションを後にした。
　軽い走りから速度を上げていく。筋肉が躍動した。五十代とは思えない若々しさを見せ付ける。
　息遣いが乱れる前に速度を落とした。散歩のような足取りとなった。
　その時、耳が一つの音を拾う。
「この音は……」
　早歩きとなって家々を眺めていく。庭に設置されたバスケットゴールが目に留まった。ゴールの手前、二人の少年が対峙する。
　靖久は足を止めて白い柵の間から様子を窺った。
　その場でドリブルをしている少年が前に出た。相手は抜かれないように大きく両手を広げる。壁を物ともせず、肩口から一方に突っ込む姿勢を見せた。
　瞬間、別の手にボールを持ち替えた。相手の意識の逆を突いて抜き去り、鮮やかなレイアップシュートを決めた。
「少しは手加減しろよ」
　シュートを決められた方は苦笑いを浮かべた。
「先輩らしくないですよ」
「それも、そうだな。今度は俺が攻める番だ」
　手でボールを催促した。
　靖久は二人の少年に懐かしくも悲しげな目を向ける。気付かれる前に歩き出した。
　――あの二人の少年は高校時代の僕と後輩を思い出せる。
　力のない歩みを赤信号が止める。眼鏡の奥の目に微かな感情が揺れていた。
　――高校時代の僕はバスケ部のエースだった。自信があった。努力を惜しまなかった。プロの道は目の前に見えていた。
　信号が青に変わった。眼鏡の中央を押し上げて道路を渡る。
　――後輩が入部するまでは。嫉妬することもできなかった。世界が違った。圧倒的な力の差に僕は……。
　靖久は朗らかに笑った。自身の頬を撫でる。
　――そう、今の僕のように後輩は笑っていた。先輩の跳躍力には敵わないっすよ、だったかな。
　そんな言葉を笑顔で伝えてくれた。おかげで僕は脚力を最大限に活かし、ダンサーとして輝くことができた。後輩には感謝しかない。
　道路を渡って海沿いの道をゆく。海風に吹かれ、やや視線を下げた。
　――それでも僕は後輩の君と。
　思考を中断した。右手に目をやると武骨なコンクリートの建物があった。窓が一切なかった。銀色の扉には『ＯＰＥＮ』の札が掛けられていた。
　靖久は喉を摩る。扉を開けて中に入っていった。

　観客の声援が耳朶を打つ。靴底の擦れる音が響き、激しい攻防でボールを奪い合う。
　靖久はサイドラインに立った状態で試合を見ていた。数回の瞬きで我に返る。
「まさか、これは」
　強靭な肉体を有し、若返りを果たしていた。服装は一変した。コートで戦っている選手と同じユニフォームを着ていた。胸に記されたチーム名を目にして武者震いを起こす。
「僕はなれたのか？」
　試合が中断された。監督の指示で一人の選手が控えに回る。
「岡瀬、出番だ！　掻き回して来い！」
「あ、はい！」
　疑問は消し飛んだ。笑顔で仲間と合流する。見知った笑顔が迎えてくれた。
「靖久先輩、得意の跳躍で決めちゃってください！」
　高校時代と同じ笑顔で後輩は言った。
「当たり前じゃん！」
　親指を立てて自身のポジションに就いた。
　試合が再開された。靖久が速い動きに翻弄されることはなかった。
　――身体が軽い。ボールの動きが予測ができる。後輩にボールが渡った。指のサイン、確かに受け取った。
　高校時代に何度も練習した。はっきりと覚えている。
　後輩はドリブルで敵陣に切り込む。立ち塞がるディフェンスを見ながら真横にボールを投げた。
　靖久が走り込んで受け取り、フリースローラインから跳んだ。片手に持ったボールを直接、ゴールに叩き込んだ。
　観客は熱狂した。靖久は声援を一身に受ける。手を振ってコートに戻った。
　後輩は興奮した顔で駆け寄ってきた。
「見事なワンハンドダンクっすよ！」
「ありがとう！」
　ハイタッチを交わし、互いの士気を高めた。

　試合を終えてチームは控室に戻ってきた。そのはずが海岸沿いの道に靖久は一人で立っていた。
　――僕は戻ってきたのか。姿も……なるほど。
「夢のような時間だったよ」
　建物があった場所に語り掛ける。さっぱりとした顔で家路に就いた。
　――僕の本当の夢はプロのバスケット選手に。
　歩きながら顔を左右に振った。ポケットからスマートフォンを取り出し、一つの電話番号を表示させる。
　――大きな舞台で後輩と一緒に大好きなバスケをずっとしていたかったんだ。
　スマートフォンを耳に当てる。
「久しぶり……ああ、そうだね。コーチの仕事は忙しいと思うけど、時間を作って会わないか？　高校時代の部活の話がしたくなってね」
　少年のように笑って靖久は話を続けた。

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