ゼリンといっしょ｜リアクション

ゼリンといっしょ

　猫又川の近くにマンションが建っていた。
　その一室に深倉理紗子が俯せの姿で眠っている。部屋は薄暗く朝をやんわりと拒絶した。
「……う……うう……あ……」
　苦しそうな横顔で微かに呻く。力の入った手を無意識に動かす。枕の横にある柔らかい物に触れた。指が静かに沈み込んでいく。
「……柔らかい……」
　触れた物を軽く揉んだ。
「ぷーにゅ」
「……鳴き声？」
　瞼は強張り、ふっと力が抜けた。薄っすらと目を開ける。数回の瞬きで触れている物に目の焦点を合わせた。
「青い紫陽花……えっ、な、なんで！」
　強い力で身体が後ろに引っ張られたかのようだった。
　上体を起こした理紗子は震える顔で枕元を凝視した。青いゼリー状の物体が載っていた。頭頂には一輪の花のような物が咲き、大きな紫陽花を想像させる。
「こんなところに、どうしてスライムが」
　他の異変を探すかのように慌ただしく目を動かす。青い物体は遠慮なく近づいてきた。理紗子のパジャマの腰の部分に引っ付いた。
「や、やめて、ヘンなこと、しないで」
　顔を背けながらも両手で押し返す。ベッドの端に追いやられた青い物体は猛烈な勢いで戻ってきた。花を模した頭を腕に擦り付ける。
「な、なに、撫でて欲しいとか？」
　青い物体は身を震わせた。直後に動かなくなった。
「……どうしたの？」
　あまりにも動かないので声を掛けてみた。変化は見られない。僅かな揺れもなかった。
「あ、そうなのね」
　理紗子は青い物体の頭を撫でた。丸い身体が少し横に伸びた。
「触り心地がいいね」
「ぷーにゅにゅ」
　青い物体は円らな瞳で鳴いた。口の両端を少し上げて笑っているように見える。
「良い子ね。あなたはどこから来たの？」
　問い掛けの意味がわからないのか。口をぽかんと開けた。
「別にいいのよ」
　軽く息を吐いて理紗子はベッドから下りた。青い物体は慌てて飛び降り、足元に縋り付く。
「着替えをするだけだから。お願い、少し離れていてね」
「にゅ～」
　渋々といった様子で従う。
「もう少しだから待っていてね」
　着替えの最中にも宥める。白いブラウスにゆったりしたデニムパンツを合わせた。
「これでいいわ」
　にっこりと笑うと青い物体は理紗子の足に纏わり付く。その状態でリビングに向かう。
「朝ごはんにしないとね」
　冷蔵庫のドアを開けた。未開封の水のペットボトルが入っていた。バターとジャムがあった。
「パンがないわ」
「にゅ」
「外に出てみようかな」
　財布を手にして玄関に向かう。青い物体も付いてくる。
「お留守番は……」
　青い物体は足首に巻き付いた。絶対に離れないという強い意志を見せる。
「無理みたいね。わかったわ。でも、足は歩きづらいと思うから」
　理紗子は両手で抱えて右肩に載せた。
「落ちないでね」
「にゅー！」
「はい、なのかな」
　微笑むと歩き易いシューズを履いて外に出た。

　歩きながら理紗子は周囲を気に掛けた。人の姿はあったが注目を浴びることはなかった。
　反対に目を奪われた。似たような形状の物体を子供が抱えていた。トートバッグに入れて歩いている女性までいる。
　断片的な話し声が耳に届く。何とはなしに聞いて知識を蓄えていった。
「あなた、ゼリンっていう天界のペットなのね」
「にゅにゅー」
　ゼリンは返事をするように鳴いた。
「遅いよ」
　笑いながらゼリンの頭を撫でた。
　甘い匂いに誘われてパン屋に立ち寄った。各種のパンを購入した。人通りの少ない道を歩いていくと２９９号線に出た。青信号を渡って海のよく見える場所を目指す。右手にある寝子島漁港を通り過ぎた。
「ここで少し遅い朝ごはんにしようね」
「にゅー！」
　防風林の間に腰を下ろす。前方には凪の海が広がっていた。手にした袋からあんぱんを取り出し、一部を指で千切った。
「食べられる？」
　理紗子はゼリンの口元に運ぶ。おちょぼ口となってパンを食べた。
「にゅ！」
「おかわりね」
　同じサイズを口に入れる。瞬く間に食べて、にゅ！　と鳴いて催促。また千切って渡そうとすると大きい方に齧り付いた。
「そう、来ますか」
　呆れながらも笑って小さい欠片は自身で食べた。
　他のパンも分け合い、缶のミルクティーで喉を潤した。
「海って、こんなに広かったのね」
「みゅ～」
　ゼリンは甘えた声で鳴いた。理紗子の膝の上にちょこんと収まる。後ろから抱き締めて頬を載せた。
「花の匂いなのかな。甘い香りがするね」
「みゅみゅ～」
　理紗子はゼリンと穏やかな海を飽きることなく眺めていた。

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ゼリンといっしょ

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