ゼリンといっしょ｜リアクション

ゼリンといっしょ

　寝子島高校の第一グラウンド。椎井莉鳥は陸上部のユニフォームを着て自主トレーニングに精を出していた。
　一定の距離を取った。涼しげな目をバーに向ける。助走に入る直前の姿勢を何度か試した。
　強い視線で走り出す。滑らかな弧を描き、青い空に向かって跳んだ。弓なりに背を逸らし、バーの上をゆく。
　僅かに視線が横に動いた。足を抜くのが僅かに遅れ、脹脛がバーに触れた。柔らかいマットに後頭部から落ち、くるりと回って起き上がる。
「ギリギリね」
　バーは揺れていたが辛うじて踏み止まった。
　莉鳥は原因となった方向に目をやる。植込みの木々に紛れて黄緑色の物体がいた。柔らかそうな円形の身体を弾ませている。
「あれは、何なの？」
　用心しながら近づいていく。
「天界のペット？　ゼリンって……遊べって、急が過ぎるわ」
　突然の脳内の声に不満を漏らす。
　莉鳥は呆れたような表情で息を吐いた。
「野放しにするのも、何だし」
　グラウンドでは数人の生徒が走り込みを行なっていた。
　莉鳥は目立たないようにして近づく。背中で隠すように立ち、ゼリンに顔を寄せた。
「そこに隠れていて。すぐに戻ってくるから」
　ゼリンは少し伸び上がって左右に身体を揺らした。その状態で前後に動く。
「意味がわからないわ」
　声と同時に木の間に飛び込んだ。幹に引っ付いた状態で身体を伸ばし、先端を葉のような形に変化させた。
「そこまでしなくても」
　表情が緩んだ。莉鳥は急いで道具の片付けを始めた。合間に胸元を指で摘まみ、軽く引っ張る。
「さっぱりしたいわ」
　部室棟で手早くシャワーを浴びた。制服に着替えると早足でグラウンドに向かう。
　ゼリンは木の擬態を止めて辺りを跳び回っていた。
「何しているのよ」
　少し強い声となった。気付いたゼリンが弾みながら向かってきて、莉鳥の手前で大きく跳んだ。伸びた身体は反り返り、背面跳びのような姿を見せる。
「もしかして、私の真似なの？」
　ゼリンは激しく身体を揺らす。南校舎へと大きな跳躍を披露して、ぴょんぴょんと跳んで遠ざかる。
「え、どうして？　待ちなさい！」
　一瞬で冷静さを取り戻し、ゼリンを追い掛ける。不規則に弾んで逃げていく。鬼ごっこの様相を帯びてきた。
「止まりなさい！」
　先頭をいくゼリンが蛇行を始めた。校舎に挟まれたところにある噴水に飛び込んだ。水浴びをするかのように派手な水飛沫を上げる。
　追い付いた莉鳥が掴みに掛かる。難なく避けられた。水に濡れたゼリンの表面は異様に滑る。
「いい加減、捕まりなさい！」
　荒げた声に驚いたかのようにゼリンは空中に舞い上がる。輪郭が二重に見えるくらいの速さで水を払い除けると落ちてきた。
「危ない」
　莉鳥は胸で受け止めた。丸くなったゼリンは円らな目を向けてきた。微かに身体を震わせている。
「怒ってないわ」
　身体を優しく撫でる。震えは止まった。大きな口を窄めて、ぷにゅ、と鳴いた。
「まあ、意味はわからないけれど、少し島を回ってみる？」
　ゼリンは勢いよく身を揺さぶる。
「何となく、わかるわ」
　莉鳥は微笑みで返した。
　その後、言葉通りに島内を回った。
　旧市街では、たこ焼きを購入した。ゼリンは口をパクパクさせて全てを平らげた。
「共食い、まあ、いいけど」
　自動販売機では微炭酸のジュースを一緒に飲んだ。ゼリンは缶を口に咥えた状態で小刻みに身体を揺らす。
「無理して飲まなくても」
　その声に反して缶を垂直にして飲み干した。
　莉鳥は苦笑した。

　夕焼けに夜が混じる頃、莉鳥はシーサイドタウンを一人で歩いていた。小さく見える星の一つに目を向けた。
「無事に帰れたのかしら」
　寂しそうに笑う。
　星から目を逸らし、小走りで帰っていった。