五月病は恋の始まり｜リアクション

五月病は恋の始まり

　街にやってきた伊賀解理であったが、それなりの賑わいを見ても心は躍らなかった。こんなことなら家で寝転がっていたほうがマシだったかも、とまた怠惰のカタマリをおんぶしているような気がしている。
　とはいえ来てしまったものは仕方がない。古書店やパーツショップ、雑貨やなど、特に目的もないまま足を向けてみる。
「伊賀さん？」
　呼びかけられたとき解理は、きっと自分はゾンビみたいな歩き方をしていたに違いない、と根拠もなく思った。なのでゾンビらしくユラリと顔を上げる。口から臓物がこぼれていないか、ちょっと気になった。
「あい？」
　しかしたちまち、解理は人類に回帰した。
「貴子……さん」
　北風貴子だ。そろそろ暑そうなベージュのモッズコートを半袖にまくり、グレーのシャツ、スリムタイプのジーンズ履きだった。トートバッグを肩から提げている。
　もし解理に会いたい人がいるとしたら、それは貴子だったに違いない。そんなおり街でバッタリ貴子と遭遇したのである。偶然を通り越して運命すら感じるのは気のせいか……やっぱり気のせいだな、なんて考える。
「元気なさそうね」
　言いながら貴子は眼鏡の位置を直した。
　もしかしたらあの眼鏡、僕の戦闘力を計測する機能が備わっているのかな、だったら今の僕は、戦闘力『１』前後に違いない。ふふっ、ゴミだね。
「あの……ゴミとか思ってないから」
「えっ！　心の声、漏れてました！？」
「戦闘力がどうの、とか言ってたけど」
「おおう！」
　なんて己の額をぺしゃりと叩いたおかげで、解理にも笑みが戻ってきていた。
「先輩、いや、貴子さんはどちらへ？」
「夕食の買い物」
「奇遇ですね、僕もなんです。ご一緒させていただいてよろしいですか？」

◆　◆　◆

　げっ、と陣は声を上げてしまう。
　彼女だ。ハンドルネーム『紅（くれない）』、本名は不明、今日もその名にふさわしく赤いパーカーを着ている。下は黒いショートパンツのようだ。
「なんでここにいんだよ？」
「教える義務ある？」
　などと憎まれ口を叩いたうえ、紅は彼のレアカードの山を一枚一枚チェックしはじめたではないか。
「引きイイねえ」
　などと言った末に、
「これちょうだい」
　と紅は一枚のカードを陣の眼前に置いた。
「は？　〈マザーコンピュータの暴走〉を？」
　クランズと名の付くメイドロボが『攻撃力２倍、特殊能力のコスト０、毎ターン常に攻撃できるようになる』という効果をもつ超高性能カードだ。
「ふーざーけーんーなー！　これＳレアの永続バフカードやんけ！！」

　間違いなくこのBOXの中で最も価値のあるカードだった。
「何で僕が買ったカードをタダで上げなきゃいけないんだよ」
「あたしが欲しいから」
　憶面もなくすごいことを言う。
　それでも、と思わないでもない。はじめて陣が見たとき紅は、もっとずっと暗く、苛立っているような顔をしていた。今はあのときよりずっと無邪気だ。いや、邪気はあるかもしれないけれど、前よりはずっといいじゃないか。
　だったら、と陣は言う。
「ならアンティ（駆け勝負）で対戦して僕に勝てばやるよ」
「マジで！？　あとで『なし』とか言うなよ」
「言わないよ。ただ、僕が勝ったら」
「えっ」
　このとき一瞬だが、紅が怯えたような眼をしたのを陣は見てしまった。
　怖がらせちゃいけない。彼女を傷つけた連中と、同じ種類の人間だとは思われたくない。
　だからすぐに言う。
「僕が勝ったら……君の名前、今度こそ教えてもらおうかな。もちろんフルネームな」
「なんだ」
　と言ったときにはもう、少女は元の、小生意気そうな顔に戻っていた。
「そんなことでいいの？」
「互いに名前くらい知らないと不平等やろ？　そっちは僕の本名、こないだのゲーム会で知ったはずだし」
「『ヤシロ』だったっけ？」
「全然ちゃうわ！　七枷陣、本名でエントリーしたから名札の通り！」