並走せよ！　暁の神速ランナー｜リアクション

並走せよ！　暁の神速ランナー

　薄野五月は、小雨に煙る寝子島街道へと向かっていた。何度か迷いもしたが、やはり幽霊をこの目で見たくなったのだ。自分にない何かを一途に持ち続けている、気になる存在。会ってみれば、自分のこの曖昧な思いがはっきりするかもしれないと感じていた。目覚ましをかけて、まだ暗いうちに早起きをして。自転車のかごにはタオルと今日のために用意した紐、淡紅色と白の取り合わせが美しい、穂のような形をしたカクトラノオの小さな花束。角虎の尾、といういかめしい名に反して可憐なこの花の花言葉は『望みの成就』だ。
（ランナーさんの思い、望み……かなうとええなぁ）
五月は走る人、なにやら大道具のそばにいる人、車や自転車で来ている人などを眺めながら自転車を走らせ、街道の終端にたどり着く。ビニール製のカバンの中から紙テープを取り出した。
（マラソンって結局は勝負……だよね？　ゴールテープ、いるんじゃないかな？）
自転車のかごに花束を飾って、ハンドルにテープを結んで。反対側の端に立って、ゴールテープを支える役になる。少し風が吹くと、紙のテープは頼りなく揺れた。
（自転車倒れないよね。大丈夫かな？）
悪い予感は的中し、強い風が一陣、自転車を傾ける。あっと声を上げて五月が立ち上がると、駆け寄り自転車を支える男子生徒と、五月の肩を優しく支える女生徒が現れた。
「ふう、間に合った！　こっちの端はボクが持つよ。任せて」
新井すばるがウィンクする。
「私たちはこっちにいましょう。ゴールテープで迎えようって言う考え、あなたも思いついたのね」
雨に濡れても美しい、豊かな金髪。五月に優雅に笑いかけるブリジット・アーチャーがいた。

　小山内海は東端、街道の終点に近い側にいた。まだ薄暗い。しとしとと雨の降る中、レインコートを着て、手には極太、原色のペン。一本一本、舗装道から少し浮いたところに、ろっこん『アクセラレイトライン』の線を丁寧に描いていた。数メートル描いては、自転車で移動し、また線を書く。雨に打たれる街道には、赤、黄色、オレンジの線がぽつぽつと浮かび上がった。一仕事終えた海は背中をのばし、本土へ続く街道を見やる。
（あの橋の先は本土。私の実家もある方向。放置しておくわけにはいかない）
ポケットから会話用の小さなスケッチブックを出してみる。白い画用紙の上にぽつぽつと雨粒が落ち、灰色の染みを作っていった。
（今日はスケブはあんまり使えなさそう。おしゃべりはできない、かな）
友人に出会ったら、微笑んで手を振ろう。それで通じるはずだと海は思う。
（この線、気づいてくれるといいな。きっとだいじょうぶ）
海のろっこんで描かれた線は物体を加速させる。この線に乗って走ってくれれば、短い間だとしても、神速ランナーに並ぶことができるかもしれない。雨の中だからじきに消えてしまうだろうが、却ってその後の迷惑にならなくていいだろう。
それに、彼の役に立てたら。海の心の中には、いつものように大切な人のことがあった。
「あれ？　小山内」
声の主は逆巻天野。ここで会うとは思わなかった。海はスケッチブックの『おはよう』のページを見せる。それから何か言おうとしたが、ペンを持ったところで
「ああ、いいよ。雨だしね」
と止められる。まだまだ雨は続きそうだ。言葉をつづる代わりに海は、天野の大きなカバンを指差す。中には数人分はありそうなタオルや雨具が入っていた。
「……別にわざわざ来たわけじゃないよ。バイトがあるからさ。そのついでにどうなってるかって思って」
少しだけ目を逸らしてつぶやく言葉は天邪鬼だ。雨に濡れる者たちを思いやる心に海は微笑む。