並走せよ！　暁の神速ランナー｜リアクション

並走せよ！　暁の神速ランナー

「いたいたぁ！」
　早朝だと言うのに、不自然なほど人影の見える寝子島街道。これも幽霊の噂に釣られてやってきた人間が多いせいだろう。そして、明らかに生者とは違う、薄ぼんやりと透けていながら、ひたひたと足音を立てる複数の姿。どれも判で押したように同じ青年の形を取っている。間違いなく、彼らこそ神速ランナーだ。
　神速ランナーを乗り物で追うものは、ランナーへの冒涜的な挑戦を罰せられると言う。すなわち、どのようなものに乗っていようが、転倒という末路をたどるのだ。ランナーにまつわるエピソードの中で、唯一『祟り』に近いのがこの事実だった。それでも構わず、霧桐舞衣は車で追い上げる。
「うわわわあぁ!?　舞衣ちゃん？　舞衣ちゃん！　せめてシートベルトさせぎゃぶっ」
すでに走り屋モードに切り替わった舞衣は、ターゲットを追い詰め、追い越す、それだけを目指している。ひょっとしたら、いやおそらくもうすでに彼女は忘れてしまっているだろう。後部座席に最優先すべき雇い主の御曹司、八十八旗信彦がおり、発車前にはシートベルトの着用を確認すべきであり、そもそも最初から主人である信彦のスケジュールを優先して行動すべきであったのだと言うことを。ギアを上げ、うなる車と一緒に舞衣は吠えた。彼女の場合、再び爆速の早口になった、と言ったほうが正しいが。
「私は誰よりも早く速く行動するって決めてるっす！　物事を早く成し遂げたら、その分時間が有効に使えるし、評価も高いじゃないっすか。ゆっくりやるなら誰でもできるっす！　猫にもサンマにもできるっす！」
まくし立てながら、神速ランナーを追い上げる。カーブのゆるいはずの寝子島街道なのに、遠心力に翻弄されて信彦は左右の窓ガラスにがしがしとぶつかり始めた。
「幽霊だか化け物だか知らないっすけど、車でランナーに負けるなんて私のプライドが許さないっす！」
舞衣のしゃべりが加速すると共に、車もまた鋼鉄の弾丸となる。
「ちょっと、あの車！　幽霊を追ってる、まずいって！」
「うわ！　まさか八十八旗君とこの!?」
街道の者たちが驚きの声を上げる。無論そんなものでは走り始めた舞衣は止まらない。一人目の神速ランナーを追い越し、二人目を追い越し、ついにいちばん前を走っていると思われる三人目のランナーの鏡像に迫った。舞衣の目はスピードに魅了され、ぎらぎらと輝いている。と、信じられないことに、追い抜いたはずの二人目のランナーがぐんとスピードを上げ、車を追い抜いたではないか！　目の前にはいまや、二人のランナーが走っていた。
「私が、抜かれるなんてぇ！　あり得ないっすよー！」
叫びを上げ、アクセルを踏み込む。衆人の見守る中で、舞衣と信彦を乗せた車は爆走し、幽霊たちに追いすがり……そして、と横転した。出しているスピードからは信じられないほどゆっくり、スローモーションのように、がくんと止まり、ごろりと横倒しになる。唖然としてみていた金戸幸虎は、我に返るとものすごい勢いで駆け寄る。
（やばい、事故だ！　助けなきゃ、助けなきゃ！）
『助けたいという思い』が無自覚の幸虎のろっこん『火事場の馬鹿力』を発動させる。幸虎は横転した車を元の姿勢に戻し、まず後部座席を、次に運転席の扉を開けた。二人ともけがはない。信彦はさんざん振り回されて、すっかり目を回していたが。
「あっはは……やられちゃったっすねー……」
ひっくり返ってハンドルを握ったまま、舞衣は照れくさそうに笑っていた。頬に小さなかすり傷。命に別状はない。
「ぶ、無事……なのか……」
必死の思いで二人を引きずり出すと、幸虎はへなへなとくず折れる。ろっこんの効果時間は短く、体力をすっかり消耗してしまったのだ。